「週刊ポスト」「女性セブン」「SAPIO」主催の第18回 小学館ノンフィクション大賞受賞が発表された。 18回目を迎えた今年は、応募総数318編。その中から事務局で大賞候補作を4作品に絞った上で7月22日に最終選考会に臨み、2作品が大賞同時受賞という喜ばしい結果を得た。そのうちの1作品が、河野啓氏(放送局勤務・48歳)の『北緯43度の雪』だ。以下、同作の概要だ。
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1972年の札幌オリンピックに亜熱帯の国、台湾から8人のスキー選手が送られている。彼らはある重要な使命を背負っていた。
「とにかく滑った記録を残せ!」
当時の蒋介石総統のその言葉に従って彼らは、へっぴり腰で最大斜度40度の急斜面に挑んでいった。
「音楽にたとえると、他の選手の滑りはロック、でもお前のはワルツだった」と、不格好な滑りを笑われた選手もいる。実は彼らこそ、国際連合から追放されて孤立する一方だった『中華民国』が、形勢逆転を狙って世界に放った最終兵器だった……。
札幌オリンピックから36年後の2008年、北京オリンピックが開催された。中国に初めて灯った聖火を、かつて国家の命令でスキーに打ち込んだ台湾の選手たちは、どんな思いで見つめたのか? 当時の代表8人のうち5人を取材することができた。
その元代表の一人は、昨年2月、バンクーバー・オリンピックの開会式に姿を見せた。彼はオリンピックを自らの「職業」に選んだ。IOC(国際オリンピック委員会)との間で交わされた屈辱的な調印書を前に、「これは妥協の産物だ」と唇を噛んだ。
また一人は、3度目となるオリンピック出場を、大国アメリカの思惑に阻まれた。これに対して彼は、たった一人で、ある闘いを挑んだ。アメリカのメディアは、それを連日大きく報じた。
「あのときのことを思い出すと、今でも涙が溢れてくる」
彼の人生を一変させた、人生の激闘があった。
政治とスポーツの狭間で揺れた彼らの40年。その思いが、初めて明かされる。北緯43度、札幌の街で雪と格闘した台湾初のスキー選手たちの可笑しくも切なく、悲しくも誇らしい『奮闘の記録』である。
※週刊ポスト2011年9月2日号