患者と直に対面してがんの告知を行なうことは医師にとっても苦行である。心ある医師たちは、冷静な表情の裏で、患者の心中を思い胸を痛める。
彼らが心がけているのは、患者の残りの人生を意義深いものにすべく、最善の治療を提供することだ。
「病気を診ずして病人を診よ」――これは東京慈恵会医科大学が掲げる医療理念だ。告知には人間とどう向き合うかが問われている。緩和ケア医療の最前線を走る同大学の相羽惠介教授(内科学講座 腫瘍・血液内科)が、告知の現実を語る。
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医療は「机の上のお勉強」でなく「実学」である――そのことを最も感じるのが「がん告知」という局面ではないでしょうか。
告知に「こういうケースにはこうするとよい」というガイドラインはありません。患者さんはそれぞれ別の社会生活を営んでいるひとりの人間ですから、抱える悩みも様々です。だから個別に対応を考えていかなければならない。
やはり医師としてのキャリア、ベッドサイドでの実績がものをいいます。若い医師はどうしても、ストレートに物事を伝えすぎてしまう傾向があります。
当病院では告知の全権を主治医が、外科分野であればチーム医療の年長者が担うことになっている。患者をいたわりながらも事実を正確に告げる告知には、やはり失敗から学んだ経験が役に立つのです。
患者と医師が共同作業でがんに立ち向かうためには、真実の告知は原則必要です。やはり本当のことをいわないと、治療に協力してもらえない。医療は患者と医師の共同作業です。ただし「本当のことをすべて知りたいわけではない」という患者さんもおられます。
当科では患者さんとの意思疎通を確かなものにするため、初診時に問診票へ記入して頂きます。「すべて隠さず告知してほしい」「限定的で構わない」「まず家族にだけ告げてほしい」など、患者さんの希望をなるべく具体的に書いて頂き、それを参考に柔軟に対応します。しかし、それが本心とは限らないので、探りながらの対応が必要です。
適切な告知が必要なのはもちろんですが、その一方で告知が当たり前となったことによる問題点も感じます。それは末期がんの患者さんに「大丈夫です」といえる医師が少なくなったこと。
私は若い医師によくいうんです。たとえ余命が短い患者さんがいても、「大丈夫」と伝えることも必要だと。生きる希望を断ち切ってしまうわけにはいかない。いかなる場合においても、常に希望を持って頂く。
たとえ見通しが厳しかったとしても、「大丈夫」という言葉で患者さんの不安を引き受けてあげるタフさがなければ良医ではない。患者さんの希望を断ってしまうような余命告知は決して行なうべきではない。
もちろんご家族には予想される余命も含め現実的な告知をしますが、患者さんの希望を支えるためには、いつも真実をお伝えすることが最良とは限らないと思います。スキンシップも大切で、患者さんの肩や手に触れて、言葉では伝わらないシグナルやメッセージをお伝えすることもあります。
患者さんにとって告知はなかなか受け入れ難く、それは医師にとっても厳しい現実です。だからこそ、医師は患者さんの最期の瞬間まで、心身の痛みを分かち合う伴走者でありたいと思います。
※週刊ポスト2011年9月2日号