東日本大震災後、被災地の出版社も打撃を受けた。だが、これまで発行していた雑誌を出さないわけにはいかない――仙台を拠点とし、総合誌『仙台学』や『盛岡学』を発行する出版社「荒蝦夷」代表取締役・土方正志氏の奮闘をノンフィクション作家・稲泉連氏がレポートする。
* * *
四月下旬に雑誌を出すために残された時間は約二週間。土方と同誌編集長の千葉由香は、東北出身者や在住の作家・学者に連絡をとった。赤坂憲雄、伊坂幸太郎、熊谷達也、佐藤賢一、山折哲雄……。これまでも『仙台学』で原稿を依頼してきた彼らに対して、「評論や提言は一切いりません」と土方は言った。
いま一人称で考えていること、感じていることを全て真っすぐに書いてほしい──伝えたのはその一点のみだったという。
「そうしたらね、締切の前にどんどん原稿が集まってきたんですよ。怒っているし、苛立っているし、悲しんでいる。読むと感情がストレートに表現されている原稿ばかりで、ああ、みんな言いたいことがあったんだ、伝えたいことがあったんだと感じた。次々に入稿作業を進めながら、これなら被災地の外に東北の本音を伝える役割は担えると思いました」
例えば同号の十七人の執筆者の一人で、山形県出身のノンフィクションライター・山川徹は、震災直後の荒蝦夷に物資を持って駆け付けた後、宮城県沿岸を取材した。
これまでも同誌で三陸海岸の捕鯨文化などの取材を続けてきた彼は、現場で哀しみや混乱する気持ちを語る被災者の姿を描いた上で、土方の言う「一人称」の思いを次のように書いている。
〈被災地で「想像もできない現実」にいままさに直面している人たちと出会った。「復興」からほど遠い現実を知った。ぼくは思う。「復興」なんて「平気な貌」をした街で生活する人たちが、自分たちの不安を和らげるためにつかっている言葉なんじゃないかと〉
この原稿を〈「復興」なんて、いったい誰がいったんだ〉と結んだ彼の気持ちは、マスメディアがまさに「復興」の二文字を早くも強調し始めていた中で、いまだ前に進むきっかけすらつかめていなかった被災地の声の一面を、確かに代弁していたに違いない。
「原稿を受け取った千葉編集長は、それが届けられる度に泣いていました。自分の気持ちを言葉にしてもらった気がした、と。この事態をどう考えたらいいのか。雑誌を編集する俺たちは、東北の著者たちの思いを受け取る最初の読者でした。被災者の一人として、心の中で咀嚼し切れない思いに寄り添ってもらっているような気持ちになったんです」(土方)
今年で十周年を迎える荒蝦夷では、震災前に様々な出版企画やイベントを準備していた。
『仙台学』も十一号ではテーマを細分化し、より地域の細部に分け入る特集・取材を意識した雑誌作りを行なう予定だった。その最中、三月十一日に地震が起こった。
「ひとまずリニューアルは中止です。今後は出版物に限らず、東京の版元とも連携しながらこの震災のことを伝えていきたい」と土方は語る。
「東北の視点をこれまで以上に伝えていかなければならない。震災の影響を地元出版社として追い、しっかりと残していかなければならないですから」
震災の渦中で本作りを続けながら、いま彼は自分たちの出版社がそうした情報や視点を発信する拠点として、確かな役割を担ってしまったのだとあらためて感じている。
※週刊ポスト2011年9月2日号