8月6~7日、前原誠司前外相が、北方領土へのビザなし交流の枠組みで北方領土・択捉島を訪問した。前原氏が北方領土に渡るのは2006年に続き2度目である。前回訪問時、民主党は野党だった。今回は与党の外相経験者で、しかも将来の首相候補に前原氏の名前があがっている。ロシアは前原氏の動静を注意深くウォッチしている。ロシアと前原氏の駆け引きの裏には何があるのか、元外務省主任分析官の佐藤優氏が分析する。
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前原氏は、国際政治が力の均衡によって動くことを冷徹に認識している。前原氏は、表現に細心の注意を払っているが、中国を日本にとっての現実的な脅威とみなして外交戦略を組み立てている。日米安保体制を盤石にするとともに、ロシアと戦略的に提携することによって中国を牽制することを考えている。
ロシア側も前原氏の外交戦略をよく理解している。それは、前原氏の択捉島訪問に関し、8月9日に国営ラジオ「ロシアの声」(旧モスクワ放送)が、日本向け放送で紹介したタチヤナ・フロニ氏の論評に端的に表われている。
フロニ氏はこの論評で、ロシア科学アカデミー極東研究所のワレリイ・キスタノフ氏のコメントを紹介している。極東研究所は、中国、モンゴル、日本、北朝鮮、韓国の政治、軍事、経済がロシアの国益にどのような影響を与えるかについて調査するシンクタンクだ。クレムリン(大統領府)やホワイトハウス(首相府)の諮問に応じて報告や提言を行なっている。キスタノフ氏は、大阪の総領事館や東京の通商代表部に勤務した経験をもつ日本専門家である。ロシア政府の意向を代弁したり、観測気球としての発言をよく行なう人だ。
フロニ氏の論評から興味深い部分を引用しておく。
〈前原氏は、有力な次期首相候補の一人だ。菅直人現首相は、近々退陣するだろう。少なくとも、彼に反対する人々はそう主張している。「係争中の領土問題」をめぐる行動の活性化の中に、現れているのは何といっても選挙を前にした戦いだ。それゆえ前原氏のエトロフ訪問は、そのコンテキスト(文脈)で捉える必要がある。氏には、政治の表舞台に戻る方法が求められており、もし氏が「北方領土」問題で何らかの新しい展開を見出す事ができるのであれば、政治家前原氏の支持率はさらにアップするだろう。
ロシア日本調査センターのワレリイ・キスタノフ・センター長も、そう考えている。
「前原氏の訪問は、二心ある感じを呼び起こす。一方で、彼のエトロフ訪問は、ある程度センセーショナルなものだった。なぜなら、前外務大臣という立場の政治家が南クリル(引用者註・北方領土)を訪れた前例はないからだ。他方この訪問は、前原氏が、領土問題をどうにか動かすことが可能な何らかの相互に受け入れ可能な解決法模索という方針に向かって一歩前進した事を示すもの、とも言える。
そうした方向への最初の一歩を、前原氏は、外務大臣としてモスクワを訪れた今年2月にすでにしるしている。自身の立場は強硬なものではあったが、前原外相はあの時、日本はやはり、島々での共同産業活動が可能となるような状況を検討できるだろうとの予想を口にした。もしそうなれば、実際、ロ日関係に突破口が開かれる。
メドヴェージェフ大統領のクナシリ訪問以後、ロ日関係は、ソ連邦崩壊後最低レベルまで落ち込んだ。ロシアは、これらの島々を我が物とするためエネルギッシュな行動に着手し、多額の資金を拠出した。今日クリル開発に、大変大きな注意が割かれている。ロシアは、開発に諸外国を巻き込んでゆく意向だ。中国はそれに関心を示している。先頃、韓国の議員団も島を視察した。日本には単に、自分達は『電車に乗り遅れつつある』といった感じが広まったように思う。おそらく生じた現実が、日本の政治家達を、何らかの相互に受け入れ可能な問題の解決法に促しているのだ。」〉
こうキスタノフ氏のコメントを紹介した上で、フロニ氏は次のように論評を結んでいる。
〈前原氏はエトロフへのビザなし渡航の後、クリルとの協力拡大を口にした。この発言は、帰国後すぐ、根室でなされたものだ。 前原氏の新しいアプローチは、彼の人気を、とりわけ新しい世代、過剰な期待をクリルに持っていない世代の中で高める可能性がある。その一方で古い世代の人々は、前原氏が「北方領土」を訪れ、何らかの妥協策を模索していることに対し、強い批判を浴びせるに違いない。氏の行動は、日本の保守的な政治家達の側からすれば、旧来の立場からの逸脱を意味するからだ。
そうした事から、今回の前原前外相のエトロフ訪問は、重要で意義深いものと言えるだろう。〉
ロシア側は、前原氏が次期首相になることをにらんで、北方領土の現地視察を行なったと見ている。この見方は正しい。
※SAPIO2011年9月14日号