原発を「右肩上がり」で推進させる「電源三法」などの制度を整える一方、「米国の核の傘」の外へ跳び、ウラン確保に奔走した故・田中角栄元総理。彼ならば、東日本大震災と福島第一原発事故による「社会的大転換」とどう向き合い、原発か脱原発かで揺れるエネルギー政策に、どのような道筋を示しただろうか。『田中角栄 封じられた資源戦略』などの著作を持つノンフィクション作家の山岡淳一郎氏が予想する。
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田中角栄が生きていたら、エネルギー政策をめぐる現在の難局にどう向き合っただろうか。
エネルギー資源が血の一滴に匹敵するという考えは今も昔も変わるまい。田中は「大衆像」を胸奥に抱く政治家だった。国民の8割近くが「原発依存からの脱却」を望む以上、原発を減らして自然エネルギーや他のエネルギーへシフトするのは間違いない。
ただし、エネルギー源の多角化というリスク回避の面から、「原発をゼロに」とは言わないだろう。リアリストの田中なら、一方的に「脱」を掲げ、既得権を持つ勢力と衝突して揺り戻されるような馬鹿な真似はしなかったはずだ。
「減原発」を時代の潮流と受け止め、政局にせず、反対する電力業界や政治家、官僚との「解け合い」に最大の政治力を発揮したと私は想う。官僚出身でも、高学歴でもない角栄が、自民党内で頭角を現わし、頂点に上ったのは、いざというときに敵味方の利害を超えて解け合える調整力を持っていたからだ。
解け合いとは、古くから伝わる商売の流儀である。取引所で不時の事変や、買い占め、売り崩しなどで相場が急変したとき、混乱を防ぐために売り方と買い方が協議妥協して、一定額で差金決済し、ともに損を被って市場を守る方法だ。
田中の政治人生で、最大の解け合いは、「日中国交正常化」だった。田中は公明党とのパイプまで使って周恩来首相の真意を確かめ、命がけで北京に乗り込んで、中国との戦争状態に終止符を打った。交渉に際し、人間的つながりを総動員して共通項を見つけ、一気呵成に攻め込んだ。
今なら減原発に反対する政官財の要所、原発を推進してきた「電力・経産省連合」と「旧科学技術庁グループ(文科、経産、内閣府に分散)」のキーパーソンに接触し、自ら敵対勢力のなかに躍り込み、「理」と「情」を尽くして説得したであろう。
もちろん人は理屈や人情だけでは動かない。「利」が見込まれなければ、人間の集団は動けない。田中は通産大臣時代、「日米繊維交渉」が膠着状態に陥り、繊維産業界が米国からの輸出規制を受け入れざるをえなくなった局面で、大蔵省と2000億円以上の補償金の話をまとめて業界を説き伏せた。現在なら兆の単位の補償になるだろう。
※SAPIO2011年9月14日号