広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「現代人がすんなり受け入れられるようアレンジされた「台詞」の巧妙さに舌を巻くのが、小説家・立川談四楼だ。
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1983年に立川談志が創設した「落語立川流」は寄席の定席には出ない。ゆえに立川流創設以降の弟子は「寄席知らず」だが、それ以前に入門した弟子は寄席の世界で修業している。志の輔、談春、志らく、談笑ら「寄席知らず」世代の活躍が目立つ談志一門だが、「寄席育ち」世代にも魅力的な演者は多い。
連載コラムや書評など、文筆業での活躍が顕著な立川談四楼。彼は、談志一門の「寄席育ち」世代を代表する本格派の演者だ。
1951年生まれで、1970年に談志に入門。同期の噺家には「寄席の帝王」柳家権太楼がいる。談志が落語協会を脱退しなかったら、今ごろ談四楼も権太楼に負けじと寄席の世界を大いに盛り上げていたことだろう。
もっとも、談志が落語協会を脱退したのは、自分の弟子(小談志、談四楼)が真打昇進試験で落とされたからで、つまり談四楼は立川流創設のきっかけを作った「当事者」だ。この顛末を談四楼は小説『屈折十三年』として「別冊文藝春秋」に発表し、84年には小談志ともども立川流の認定する真打の第一号となった。
「落語も出来る小説家」のキャッチフレーズで作家としてのキャリアを順調に築いている談四楼だが、あくまでも本業は落語。各地で精力的に独演会を行なっている談四楼の活躍ぶりは、立川流の「寄席育ち」世代の中では突出している。
談四楼の落語の最大の特徴は「わかりやすさ」だ。
それぞれの噺を、談四楼は必ず自分の中で咀嚼し、現代人が共感しやすいものに変換して観客に提示する。といっても、通俗的な「わかりやすさ」を狙って江戸落語の美学を損なうようなことはしない。伝統を踏まえながら、言葉遣いや演出を工夫することで、現代人がすんなり受け入れられるようアレンジする。そこで発揮される言語センスは、まさに作家ならではのものだ。
談四楼は「地の語り」、つまり演者本人が観客に直接語りかける部分の使い方が巧みだ。古典には、初心者には馴染みの無い表現がどうしても出てくるが、談四楼は自然な流れで地の語りを挟み込んで解説を加え、噺の背景にある概念や因習の違い等を教えてくれる。だから、落語に無縁で生きてきた若者でも、すぐに入っていける。つまり、「初心者に優しい落語」なのである。
※週刊ポスト2011年9月2日号