今や「がん告知」をする人も多くなったが、宮尾すすむ氏(享年77・末期の食道がん)や原田芳雄氏(享年71・上行結腸がん)など、がん告知がされなかったケースが続き、話題となっている。だが、そもそもわずか15年ほど前まで、日本においてがん告知はタブーだった。
ある60代の外科医が「研修医時代に聞かされた」と、こんな話を披露した。
「がんに冒されたある高僧が“自分の本当の病名を知りたい。徳を積んだ私なら、取り乱すことはない”と、医師に詰め寄った。そのためしかたなくがんを告知すると、高僧は取り乱し、その直後に悲嘆のあまり自殺した――こんな“伝説”が、20年前まで当たり前のように医師の間では話されていた。患者のほうも、当時は“先生の治療方針に従います”と、自分の病状について深く知ろうとはしなかった」
患者にがんであることを告げるなどもってのほか、というのが、戦後長らく医師たちの共通認識だった。しかし1993年、当時人気絶頂だったキャスター・逸見政孝氏のがん告白をきっかけに、一気に告知の必要性が叫ばれ始める。
「私が冒されている本当の病名は……がんです」
逸見氏のあの振り絞るような言葉は、今も人々の脳裏に鮮明に焼き付いている。告知すら一般的でなかった時代に、マスコミを通じてがんの公表に踏み切った衝撃は凄まじかった。
告白からわずか3か月後、逸見氏は闘病むなしくこの世を去る。そしてその死後、氏はスキルス性と呼ばれる難治性の胃がんであったことが判明。結果的に手術や抗がん剤投与を行なわないほうが延命につながった可能性も指摘され、治療への疑問が噴出する。セカンド・オピニオンの重要性が叫ばれるきっかけともなった。
逸見氏のがん告白と死は、現在大きな議論を呼ぶ「がん告知」や、患者による「治療法の選択」などに大きな一石を投じたのである。
※週刊ポスト2011年9月2日号