8月23日に行われた引退会見で島田紳助は「まず、10数年前なのですが、解決できないトラブル、どうしようもないことが起こった」と語った。
これが「ヤクザ組織」のB氏と知り会ったきっかけだと切り出したわけだが、そのトラブルとはいったい何だったのか、何も明かされないまま会見は終了した。北朝鮮問題に関する発言が発端だという説もあるが、当時を知る関係者が真相を明かした。
「関西テレビが制作していた番組『紳助の人間マンダラ』でのトラブルです」
同番組は1991年4月から2002年3月まで放送された、さまざまなジャンルの人間を招いたトーク番組。
「番組で紳助が、収録に遅れそうになってタクシーを飛ばしていたときに、前を右翼の街宣車が軍歌を流しながらトロトロ走っていたという話を始めたんです。紳助が『何トロトロ走っとんねんボケカス!』と怒鳴ると、街宣車からいかついお兄ちゃんがゾロゾロ出て一悶着あった、と」
紳助はこのくだりを思いっきり茶化しながら面白おかしくネタにした。これに、ある右翼団体の幹部が激怒し、関西テレビに猛抗議したのである。
「そのときは制作スタッフも謝って一応収まったんですが、紳助は強情な性格だから、馬鹿にした感じで本気では謝らなかった。それで局に街宣車が来る事態になったのです」(前出・番組関係者)
会見によれば、このトラブルに紳助は「芸能界を去ろうと決意」するほど悩まされたと語ったが、周囲の人間たちも、当時、紳助が見るも気の毒なほどに弱り果てていたのを覚えている。
「紳助は突っ張った言動で世に出てきたものの、本当はメチャクチャ小心者なんです。ことが大きくなったことにうろたえ、局と一緒に解決策を考えればいいのに、独りであちらこちらに相談し、事態を収めようとあがいた。それで、“一線”を超えてしまった」(同前)
そしてA氏こと元プロボクサーの渡辺二郎を介して、山口組系K会の会長・B氏に「悩みを解決」してもらったというのだ。以後、B氏の大きな力を知り、深い恩義を感じた紳助は、B氏との関係を深めていくことになった。
※週刊ポスト2011年9月9日号