震災の年の甲子園、決勝で惜しくも散った青森県代表・光星学院は、地元に凱旋した途端に選手の飲酒スキャンダルにまみれ、祝賀ムードも一気に萎んでしまった。地元・八戸の反応は冷ややかだった。
「あのチームには青森の人間が少ない。一生懸命練習しているのはわかるけど、大阪から野球のうまい子だけを連れてきたチームだから、“被災地の希望”といわれても違和感があった。それに酒を飲んでたのだって、正月休みの大阪でのこと。青森には関係ない話だよ」(50代自営業男性)
光星学院のレギュラー8人は大阪で、残り1人は沖縄出身。ベンチ入り18人のうち青森生まれは3人しかおらず、監督も大阪生まれだった。大会前から八戸では、「光星は大阪第2代表なんだから、監督の母校(桜宮高)から応援団を出してもらったらどうだ」といった冷めた声もあったという。
光星球児たちの溌剌としたプレーとの落差も相まって、被災地にはいいようのない後味の悪さが残った
※週刊ポスト2011年9月9日号