世界中から奇異の目で見られる共産主義社会、北朝鮮の三代世襲が着々と進んでいる。その歴史は自分に都合よく史実を塗り替え、自らを神格化し、国民に偶像崇拝を強要するもの。そしてそのDNAが金日成から正日と同様に、正恩にも受け継がれようとしている。
北朝鮮内部から入手した証拠と、朝鮮労働党の日本支部である朝鮮総連の極秘情報から世襲・偶像化作業の実態を、関西大学経済学部教授・李英和氏がレポートする。
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金正恩が後継者に「内定」したのは2009年1月中旬のことである。金正日が脳卒中で倒れた直後の生誕祭(2月16日)を前に、久々に長男の金正男を含む息子3人が平壌で一堂に会した。それを機に、叔父の張成沢が長男から順番に個別面接した。金正日の命を受けて、後継者となる意向を確かめるためだ。
ところが長男と次男がそろって後継を辞退する想定外の展開となった。それぞれ「ビジネス以外に興味がない」「音楽にしか興味がない」というのが固辞理由だ。残り籤の三男坊が手を挙げたので、金正恩が「後継内定者」となった。ここから偶像化作業の行程表が周到に練り上げられる。
その第1行程が「元山農業大学訪問」だ。同年4月26日、金正日は元山農業大学の現地指導の際に、3人の子供(次男=正哲、三男=正恩、長女=ヨジョン)を同行させた。そこで金正日は「息子をよろしく頼む」と元山市の党幹部一同に金正恩を初めて紹介した。同時に「元山市を『第2の故郷』にする」と言明し、市街地整備事業に着手するよう命じた。
「第2の故郷」が意味するのは、元山港が「帰国船」(在日朝鮮人帰国事業)の寄港地という歴史的事実と関連する。金正恩の実母とされる高英姫は帰国船で元山港に降り立った。生母の偶像化は、金正恩偶像化の不可欠な作業行程の一環だ。ちょうど金正日が実母=金正淑に「革命のお母様」の呼称を与え、“出生地”の両江道新波郡を「金正淑郡」と改称したのと同じ脈絡である。
この第1行程の開始を記念して作られたのが、筆者の現地協力者が今年5月に初めて写真撮影に成功した石碑と看板である。2010年9月の労働党代表者会での顔見せ興行以降も、金正恩の実名を挙げての偶像化作業は、これまで北朝鮮内外で公式には見られなかった。せいぜいのところ「青年大将」とか「大将福」とかの迂遠な言い回しにとどまっていた。それが石碑には「青年大将 金正恩同志」とくっきり刻み、看板には「尊敬する金正恩同志」と大書する。
金日成には「偉大なる」、そして金正日が後継者のときには「親愛なる」という形容詞が枕詞で公式に使われた。これから金正恩には「尊敬する」との枕詞が付くことになるのだろう。ともあれ、元山農業大学を訪問して以降、偶像化作業は水面下で着々と進められた。
第2行程は「金正恩の革命史跡資料の発掘・考証および体系的管理」と称する労働党の新方針。後継者の正統性をねつ造する基礎資料の蓄積が目的であり、2009年7月に下達された。
第3行程は「ジョンウン」名を持つ北朝鮮国民への改名強要だ。後継者の権威毀損を防止する目的で、同年8月から改名作業が開始された。
第4行程は金正恩の年齢詐称。2010年1月、労働党は「金正恩の年齢の対外公表禁止」の指示を出した。そうして対内的には出生年度を「1983年」から「1982年」に早めた。金日成生誕100周年、金正日生誕70周年に当たる来年に、金正恩がきりの良い30歳となるようにするためだ。
そして第5行程は金正恩の実母とされる高英姫の偶像化。第1~3行程の進捗に合わせて、軍隊と秘密警察(国家安全保衛部)は内部では高英姫を「平壌のお母様」との称号で呼び、「我らのお母様が一番好き」などの称揚歌を8曲も作って供給している。
ところが、ここまで一本道の偶像化作業は、想定外の事態で中断、もしくは速度調整を余儀なくされた。2009年11月30日に強行実施した貨幣改革(デノミ政策)の失敗がそれだ。
じつは元山農業大学訪問の際、金正恩の「2人の後見人」が帯同している。叔父で労働党行政部長の張成沢と労働党計画財政部長の朴南基だ。両名は党内の経済改革派と守旧派を代表する巨頭で、竜虎相打つ対抗関係にあった。その朴南基は金正恩の業績作りでデノミ政策を立案・担当したが失敗、翌年1月に国家反逆罪で銃殺された。
ともあれ、国民経済の大混乱で、偶像化作業を加速させる雰囲気ではなくなった。それでも2010年9月には、金正恩に人民軍大将の称号を付与し、党中央軍事委員会・副委員長に就任させた。とはいえ、すでに作成・準備済みの金正恩肖像画や金正恩記章(父子三代横並びの肖像バッジ)は、人民軍の一部幹部を除き、まだ国民には配布できないでいる。
そうする内にも、強盛大国建設の期限が刻々と迫る。しびれを切らせた労働党は、今年5月に入って金正恩偶像化の最終行程に突入する腹を固めたようだ。その証拠が前記の石碑と看板の建立であり、朝鮮総連への偶像化作業加速化の指示である。
※SAPIO2011年9月14日号