兄・長門裕之(享年77)と弟・津川雅彦(71)は、不思議な兄弟仲を見せ続けた。長門さんが亡くなって3か月、めったにインタビューを受けないことで知られる津川氏が、長門さんのラストインタビューを行なった吉田豪氏を聞き手に、兄弟の秘話を語った。
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――長門裕之さんと津川さんは兄弟の関係が面白いというか、兄弟仲がいいのか悪いのか全然わからないんですよ。
津川:うん、どっちとはいえないね。子供の頃は仲よく、役者になってから長い間仲悪く、晩年また仲よくなったから、まあ後味は良いよ。とても。
――津川さんに雑誌から電話が掛かってくると、背後で長門さんがコップを割ったりと、若い頃はライバル心も出てきたみたいですね。
津川:僕が『狂った果実』でデビューした16歳のときの話。人気の上で弟に追い越されて、兄として沽券に関わった訳さ。感情が激しやすい質だからね。長門裕之は、桑田佳祐が兄貴に似てるといわれる程、親近感の持てる顔なんだ。だから二枚目がモテるあの時代にはそぐわなかったんだな。はっきりいえば「ブス」さ。これを言うと兄貴はまじで不愉快な顔したけどね(笑)。テレビ時代になって渥美清に代表される、等身大の人気スターを視聴者が求めるようになり、兄貴には良い流れが来た。
――津川さんは二枚目ゆえに、テレビの時代になると流れに乗れなくなって。
津川:いや、テレビのせいなんて大袈裟なことじゃない。自信過剰での自滅にすぎない。日活から松竹に移ったのが致命傷になったね。この美しい顔さえあればどこでも通用すると思ってたが、ド下手だったからね(笑)。
日活辞めるときは、後援会長の村上元三先生と幸田文先生に大反対された。「スターは客が担いでくれる神輿なんだ。自分で歩いてしまう神輿は興ざめだ。行っちゃいけない」って。これ格言だったなあ。案の定、松竹に行ったら1本目から見事に客が入らなかった。儚いアイドルの運命さ。
※週刊ポスト2011年9月9日号