中国の経済成長はいつまで続くのか。そして、中国の国民が等しく豊かな生活を手にする日は来るのだろうか。7億人の貧しい農民がいるという中国で、彼らがいつかは幸せな中流階級になることはありえない。それが、大前研一氏の見方だ。
* * *
そもそも私は、中国に対して極めてフレンドリーな立場である。しかし、あの国には「自分で自分を律することができなくなってしまう潜在的なリスク」が常にある。
というのは、いくら中国が金持ちになったとはいえ、豊かさをエンジョイしている人は、まだ国民の2割しかいないからだ。あとの8割は貧しいままである。それゆえ中国では「群衆蜂起」が起きる可能性がある。
群衆蜂起が起きたら、あるいはその兆しが見えたら、古今東西、指導者たちは必ず国民の目を外に向けようとする。その時、中国の場合に誰も異論を唱えない大義名分となるのが「台湾統一」なのだ。
中国のマジョリティをハッピーにするのは極めて難しい。「あと10年もすれば中国国民の半分が豊かになる」そんな楽観的なマクロエコノミストの予測も目にするが、それは大間違いだ。
なぜなら、もしそうなったら、その時点ですでに中国は競争力を失っているからだ。中国の競争力はマジョリティである貧しい人たちの犠牲によって維持されている。逆に言えば、虐げられる人がいなくなった中国は、競争力の源泉を失うのだ。
歴史は「虐げられる人々がいる国が成長する」ことを教えている。
スペインやポルトガル、イギリスの発展は植民地を犠牲にした。アメリカが経済大国になれたのも、アフリカから大量の奴隷を連れてきて労働力を確保したからである。
そして中国の場合、植民地や奴隷に匹敵するのが7億人の農民だった。この7億人が幸せな中流階級になるという方程式は、実はあり得ない。もし、そうなった時には、中国は人件費が高くなって競争力を失っており、先に豊かになった人たちが貧しくなっているはずなのだ。
もちろんシリコンバレーのような新たな富を生むイノベーションが至る所で巻き起こり、大きな富を創出するという期待がないわけではないが、それが雇用を生む可能性は小さい。
したがって私は、中国がすんなりと成長を続けるとは考えていない。このままいくと、いずれは従来以上に群衆蜂起が起きて破断界に至りかねないので、その前に政府が「台湾統一」に関心を向ける可能性が出てくる。
つまり、この問題は今の中国政府がどう考えているかではなく、今の政権がどういう国内リスクを抱えているのか、という問題である。日本はそのリスクに対して備えておく必要があるのではないのか、というのが私の問いかけなのである。
※SAPIO2011年10月5日号