【書評】『昭和桃色(ピンク)映画館 まぼろしの女優、伝説の性豪、闇の中の活動家たち』(鈴木義昭著/社会評論社/2310円)
【評者】川本三郎
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香取環という女優を御存知だろうか。あるいは内田高子を。乱孝寿を。五十歳以上の人間なら記憶にあるかもしれない。
東京オリンピックの直前、その経済成長のなかでピンク映画が誕生した。第一作は昭和三十七年公開の「肉体の市場」といわれる。翌年の女ターザンもの「情欲の洞窟」公開に際しブルーフィルムならぬピンク映画の語が生まれた。
「肉体」や「情欲」という言葉だけでも刺激的だった時代。大手映画会社では敬遠された官能的映画が独立プロで次々と作られ、ひそかな人気を得ていった。香取環、内田高子、乱孝寿はいずれも初期のピンク映画で活躍し人気が高かった女優。
ピンク映画の歴史を追い続けている鈴木義昭さんは若い頃にピンク映画館でアルバイトをしていたというほどのファン。そして引退して姿を消した香取環と内田高子に会うことに成功した。
この二人の対談は、あの時代、ピンク映画に心ときめかした世代には実に懐かしく、かつ貴重。
ピンク映画の女優は裸になるからあくまでもひかげの花。現代のようにAV女優が堂々と表に出る時代とは違う。
だから以前、鈴木義昭さんはようやく香取環の行方を探し出し、インタヴューを申し込んだ時、断られたという。結婚して家庭のある女性としては当然だろう。
それが二〇〇七年にはじめてインタヴューに応じてくれた。その後内田高子との対談という最高の形も実現した。もうお子さんたちも大人になったからだろう。
内田高子は娘にはじめて自分の映画を見せた時、「綺麗だね」と言ってくれたという。香取環も子供は一人の役者として冷静に評価してくれるという。素晴しい。
ピンク映画の会社、国映を作った矢元照雄のインタヴューも面白い。北海道で郵便局長をしていた人ではじめは教育映画を作っていた。それが転じてピンクへ。波乱の人生だ。
消息が分らないという松井康子や扇町京子もぜひ探して欲しい。
※週刊ポスト2011年9月9日号