島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地――これが竹島の「住所」である。しかし、1952年に韓国が実効支配を開始して以降、島は日々刻々と「独島(竹島の韓国名)化」が進んでいる。この8月に、2006年5月以来2度目の竹島上陸を果たした報道写真家の山本皓一氏が、「失われゆく日本領土」の現状をリポートする。
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去る8月上旬に日本の国会議員3名が上陸を拒否された韓国・鬱陵島から、500人乗りの観光船で約2時間。無数の海鳥が飛び交い、切り立った崖に緑の草木が生い茂る竹島の光景は、前回この島を訪れた5年前と遠目にはさほど変わらなかった。
しかし波止場に降り立つと、この5年間で竹島が確実に「独島」に変貌しつつあることがはっきりとわかる。港では数台のショベルカーが浚渫工事を行なっており、人気の撮影スポットである「韓国最東端の地」と刻まれた石碑の周りには、観光客が海に落ちないように鎖が張られていた。
島の上部にある軍事施設に観光客が訪れることはできないが、その景色も大きく変わっている。中腹には韓国警察庁のエンブレムを掲げた官舎が建ち、その数十m下には巨大な太陽光パネルが設置されていた。山頂部の灯台やレーダー施設の電力は、この太陽光発電で賄っているのだという。
ちょうど5年前、韓国では、「2人の中年夫婦が独島に住民登録」というパフォーマンスが行なわれ、港の片隅に小屋が建てられた。驚くことに、その場所にはレンガ造りの真新しい建物が完成しており、屋根の上には韓国国旗がはためき、衛星放送を受信するアンテナも据えられている。私が島を訪れた日(8月5日)に竣工式が行なわれたばかりで、年内に約40名の“独島住民”が移り住み、将来的には漁業活動を営む計画もあるといわれる。
かつて竹島では隠岐の島民がアシカ猟やアワビ漁を営み、大きな財を成した。そうした経済活動が、竹島を日本領土たらしめる重要な根拠の一つとなってきた。
韓国政府は捏造した歴史を既成事実とするために、観光地化や漁業拠点化を推進し、「独島では韓国人の経済活動が行なわれている」とのアピールを着々と進めている。そうした「ソフト路線の領土侵犯」を指をくわえて見ているばかりの日本外交にも歯痒さを感じてならない。
※週刊ポスト2011年9月9日号