本誌・週刊ポストでは、引退会見のずっと以前から島田紳助を大阪府警がマークしてきたことをいち早く報じた。引退後、”紳助捜査網”は安藤隆春・警察庁長官の号令でますます拡大しつつある。ジャーナリストの伊藤博敏氏が、府警捜査4課が注視する紳助の不動産ビジネスの“本丸”を追った――。
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大阪府警関係者は、紳助が素人には手が出しにくい大阪・ミナミのビルに投資ができた理由は、引退記者会見で親しい関係と打ち明けたA氏こと元ボクシング世界王者の渡辺二郎、そして山口組系K会の会長・B氏の存在にあると睨む。
紳助のミナミへのデビューといえるのが、1998年10月、競売で心斎橋筋2丁目に購入した21坪2階建ての雑居ビル。2006年11月には新しく建て替えている。
競売での購入は債権債務問題のカタがついていないなど、後からどんな難題が降りかかってくるかもしれず、素人が簡単に手を出せるような案件ではない。
しかしこの時、既に紳助には「渡辺二郎」という名の通った“トラブル解決役”がいた。ただし、二郎はこの時点では、暴力団周辺者ではあっても構成員ではない。K会相談役という名の構成員認定は1999年、二郎が銃刀法違反事件で逮捕されてからのことだ。
同事件の公判で、2000年、情状証人として出廷した紳助は、「本当に情のある人で、頼まれたら嫌といえない。そのあたりを理解してほしい」と涙ながらに訴えた。
紳助はその「嫌といえない性格」に助けられた。10数年前に右翼団体に街宣をかけられた時、二郎にK会会長を紹介してもらって解決するのだが、府警関係者は、このトラブル解決の見返りがテナントビルでの共存共栄だったと見る。
「紳助は、『会長は見返りを求めなかった』といった。それはそうです。組長が直接的に手を出すようなことはしない。ただ、紳助はビル4棟を所有し、寿司屋や鉄板焼き屋を経営しているんですから、解体、建て替え、内装、備品、清掃、管理などどんな仕事だってK会関係者が絡める。そのあたりを徹底的にチェックしてきた」(府警4課関係者)
警察と暴力団とは「反社認定」をしたい警察と、それを避けようとする暴力団との知恵比べ。認定は容易ではなく、紳助のビルとの関係においても出入り業者を「継続観察」している状況だという。
その後、紳助はミナミ中心部の東心斎橋1丁目に、2000年8月、まず約100坪の土地を取得し、2年後に5階建てビルを新築した。そこに直営の寿司屋を開店。土地の前所有者は、借金まみれで身動きが取れず、競売になる寸前に紳助が任意売買で購入した。
さらに紳助は事業意欲を燃やし、翌月の2002年9月、西心斎橋に9階建てビルを取得した。これも権利関係が複雑なビルで、「さすがに今度ばかりは紳助も苦労するだろう」(近隣の不動産業者)と見られたものの、トラブルもなく推移。以降、K会の噂は周知のものとなっていく。
そして、社交ビル・ビジネス(※)の集大成というべき地上4階地下2階のビルを2006年6月に購入した。会員制バーやしゃぶしゃぶ、鉄板焼き屋などの直営店が入居する。
紳助と二郎のメールのやり取りで明らかになったように、2006年7月、K会会長一行8名が寿司屋で会食し、2007年1月のバーをオープンした時には、紳助の留守中に訪れたK会会長がご祝儀も込めて30万円を置いて行ったとされている。
これでは「K会御用達」と周囲の人間が認識するのも当然で、少なくとも二つの「紳助ビル」は、他の暴力団組織にとっては、「K会の店」という認識だった。
山口組系組織の幹部が明かす。
「ミナミは群雄割拠の地で、どこか特定の組織が完全制覇しているシマではない。ただ、先に手をつけた店はその組織のものという不文律がある。『紳助の店』はK会がケツ持ちをする店。それを承知であやをつける組があれば、K会と事を構える覚悟がいる。ただし、山口組ナンバー4であるK会会長に楯突く組織はない」
※社交ビル:バーや飲食店が入居するビルのこと。賃借権が売買され、又貸しが横行、経営は容易ではない。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号