広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「通好みの本格派」と評するのが、五街道雲助だ。
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江戸っ子が近所の寄席で楽しむ芸能として発展した江戸落語は、戦後日本人のライフスタイルが変容する中で、ラジオ、テレビ、レコードなどによって全国的に普及し、「日本の娯楽」として広く認知された。
江戸の地域芸能だった落語が「日本のエンターテインメント」としての普遍性を獲得する過程で、歴代の優れた演者たちは、ともすれば失われがちな「江戸落語の美学」を守り抜き、落語通はその「江戸っ子の了見」を賞賛した。
日本全国を相手にする芸能になったからといって、江戸の地域芸能という原点を見失っては、落語が落語である意味が無くなる。江戸以来の伝統の上に成り立つ普遍性の獲得でなくてはいけない。
立川談志は近年の著作で、それを「江戸の風」と表現した。落語とは、江戸の匂い、江戸っ子の了見、寄席の雰囲気などが一つになった「江戸の風」の中で演じられるものである、と。そして、「江戸の風」を感じる現代の噺家の一人として、談志は五街道雲助の名を挙げている。
雲助は1948年に東京下町の本所で生まれ、1968年に十代目金原亭馬生に入門。前座名は金原亭駒七で、1972年の二ツ目昇進で五街道雲助と改名、1981年に真打。古き良き江戸落語を今に伝える「通好みの本格派」だ。
五街道雲助とは変わった名前だが古くからある名跡で、当代は六代目。もっとも、はっきりした文献が乏しく、「六代目」というのは師匠である十代目馬生が「六代目でいいだろう」と決めたそうだ。
「落語は江戸東京の感覚に根ざした地域芸能であるという一面を残しておきたい」という五街道雲助。その武骨な演出は、「現代のエンターテインメント」としての落語に慣れている観客には取っ付きにくいかもしれない。だが、そこには間違いなく「江戸の風」が吹いている。落語にのめり込んだ「ファン上級者」なら、聴いておくべき演者である。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号