新聞を読んでいると、「政策論争」という単語を目にすることがある。この言い回しに込められた意味は一体なんなのか。東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が解説する。
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選挙のたびに新聞が訴えるのは「数合わせよりも政策論争を」という主張だ。今回の民主党代表選では「政策論争にかじを切れ」(8月24日付、朝日新聞社説)、「民主は代表選で政策論議を深め出直せ」(同23日付、日本経済新聞社説)といった具合である。
これは、たしかにそのとおりだ。国民が政治に求めるのは権力闘争ではなく、政策の実行である。肝心の政策がないがしろにされてはたまらない。
ところが毎回、指摘されながら政策論争はいっこうに深まらない。とりわけ今回はひどかった。告示から投開票まで2日しかなかったのだから、むしろ議論を避けたとさえ言える。
なぜ政策論争が深まらないのか。それは日程が真の理由ではない。そもそも多くの政治家は初めから「政策で戦っていない」のである。こう言ってしまうと身も蓋もないが、残念ながら本当だ。私はある内閣総理大臣経験者にずばり聞いたことがある。
「私たち外野は政治家を政策で判断するけど、肝心の政治家は政策で生きているのでしょうか」
すると返事はこうだった。
「長谷川さん。9割くらいの政治家は権力に吸い寄せられていく。『権力を二の次にして政策に生きる政治家』というのは、まずいませんね」
これが実態である。
だから「政策論争を深めよ」という主張はいささかナイーブで、もう一歩、本質に迫っていない。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号