【書評】『東京震災記』(田山花袋著/河出文庫/599円)
【評者】坪内祐三(評論家)
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版元(社会思想社)が倒産してしばらく文庫本で読めなかった田山花袋の名著『東京震災記』(初刊は博文館一九二四年――ということは関東大震災の翌年――四月)が河出文庫から復刊された。
いわゆる自然主義のリーダーだった田山花袋のキーワードは「描写」、すなわち説明でなく描写であるが、ここでも彼の描写力は光っている。
代々木の自宅で大震災にあった花袋は、この時既に五十歳を越えていたが(現代の感覚で言えばかなりの老人)、震災の三日後には「どうしてもじっとして家にいることは出来なかった」。そして、「出かけた」。
「私は代々木の停車場を左に見て、踏切を越して、急いで千駄ヶ谷の方へと行った。それまでにも私はいろいろなものを見て来た。低い地盤につくられた家屋が将棋倒しになっているのも、二階が半分倒れかけているのも、瓦が小山をなして落ちているのも……」。
四谷や九段、お茶の水などを廻り、さらに下町へと向かう。
死者行方不明合わせて十四万人を越える関東大震災(実はマグニチュード八に満たない――震度は六)の被害は地震以上にその後の火災によるものの方が大きかった。
特に被害が大きかったのが下町だ。浅草の廐橋に行くと、「忽ち私はそこにすさまじい何とも言われない光景を眼にしたのである」。
田山花袋は凡庸そうに見えて実は欧米の尖端芸術にも詳しかった。見るものすべてが「曲って、歪んで、いびつになっているように見えた」。そして彼は、「何となしに新しい芸術をそこに発見したような気がした」。すなわち、「こういうところから、あのドイツの表現派の芸術が生れたのだ」、とかなり深い考察を口にする。
さらに興味深いのは震災後の東京の町の変化を彼が見逃していないことだ。
彼は、震災後、目白や大塚や代々木や渋谷や東中野などの「郊外」の町、中でも東中野が急速に「下町式」になって驚いたと言う。
※週刊ポスト2011年9月16・23日号