9月11日は山野壽子さんの命日だ。山野壽子さんは、日本の美容業界をリードし続けてきた山野愛子さんの六男、博敏さんの妻。愛子さんの右腕として長年山野愛子美容室を支えてきたが、昨年64才でこの世を去った。
「抗ガン剤治療にはいる直前、母から1週間、時間を取るようにいわれました」
そう語るのは次男でヘアメイクアーティストのAKIRAさん。壽子さんは息子に、山野愛子さんが考案した花嫁衣裳の着付けやメイクなどを、改めて教えようとした。
「『いまから山野愛子から教わったそのままの着付けとメイクをし、聞いた言葉をそのまま繰り返しますから。まっさらな気持ちでスポンジのようにすべて吸収してください』と、かしこまった前置きから始まった。思わず身が引き締まりました」(AKIRAさん)
壽子さんはホルモン治療の副作用で関節が変形した手で水白粉を溶き、助手を花嫁に見立てて、花嫁の着付けやメイクを行った。「山野愛子は、半襟の出し方は指の節ふたつ分、それ以上出すと下品になるといいました」といった具合に、ひとことひとこと、噛みしめるように語りながら、しんどい体を押し、母から息子への特別講義は、連日朝から晩まで続けられた。
「一言一句聞き逃すまいと必死でした」とAKIRAさん。余命がそう長くはないと予感していたのだろう。それまで吸収してきた“山野愛子の技術と精神”のすべてを息子に伝承するための、まさに1週間かけた“遺言”だった。
※女性セブン2011年9月22日号