「政治的な引退」を表明したダライ・ラマ14世に代わり、中国との交渉など大きな役割を担うことになるロブサン・センゲ新首相。では、彼はチベット社会をどのように導いていくのか。氏へのインタビューをもとに、チベットをめぐる弾圧の現状と、センゲ首相の描く「未来」を、ジャーナリストの相馬勝氏がレポートする。
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「ダライ・ラマのビジョンを実現するため、真に民衆による民主主義社会を建設することを約束する」。
チベット中央政府(CTA、チベット亡命政府)のロブサン・センゲ首相は8 月8 日、インド・ダラムサラのダライ・ラマ宮殿に隣接するツクラカン(中央寺院)で行なわれた首相就任式で、声を張り上げて高らかに宣言した。
式典会場周辺に集まった5000 人は「オオーッ」と声を上げ、大きな拍手が会場内外に響いた。中には、土砂降りにもかかわらず、会場の外で傘を差したまま、3 時間にも及んだ式典をずっと立って見守る人々もいた。
センゲ首相の演説が終わったあと、首相就任を祝福するためダライ・ラマが壇上のセンゲ氏に駆け寄り抱擁をすると、民衆の興奮は頂点に達し、100 人以上もの報道陣のカメラのシャッター音に加えて、大きなどよめきや拍手が鳴り止まなかった。
センゲ氏は1968 年にインド・ダージリンのチベット人居住区で生まれ、現在43歳。高校までは地元のチベット人学校に通い、名門のデリー大学に進み英文学と法律を学んだ。その後、米国留学。ハーバード大ロースクールに進んだことが人生の大きな転機となった。ダライ・ラマとの出会いである。
ダライ・ラマはセンゲ氏について、「彼はよく知っている。もう20年前のことです」と明かしている。筆者は就任式の2日前の6日午後、首相府でセンゲ氏に単独インタビューした。
「私がダライ・ラマ法王と初めて会ったのは1992年です。法王が米国を訪問した際、他のチベット人留学生らとともに会いました。その2年後、やはり留学生仲間と訪米中の法王と会った際、法王は私のそばに来て『君が書いた論文を読んだよ』と声をかけてくれたのです。私は驚きと恐れ、そして嬉しさで頭が真っ白になりました」
センゲ氏は最初の出会いをこう表現した。センゲ氏はCTA発行の季刊誌「チベタン・ブルティン」に「アジア的な価値観から見るチベットの人権」と題する英語の論文を投稿していた。ダライ・ラマは側近から、その論文の存在を知らされていたのだ。
その後も、センゲ氏はダライ・ラマと会った際、「ハーバード大では中国人との付き合いを続けていきなさい」と助言され、同大研究員時代の16年間でチベット問題について、ハーバード大で中国人とチベット人らによる討論会を7回開催し、うち2回の討論会にはダライ・ラマも出席したという。
「私は中国との交渉には自信がある。私がハーバード大で知り合った中国人研究者が中国のいたるところにいる。中国とのパイプもある。必ず交渉を成功させることができる」
センゲ氏は就任演説でも「60年の中国統治によるチベットには中国が約束した社会主義の楽園はない。チベットには社会主義はなく、むしろ、あるのは植民地主義だ」と痛烈に批判したあと、「平和的な接触と対話によるチベット問題の解決を信じている。いつでもどこでも、中国政府と喜んで交渉する」と述べて、中国に対話を呼びかけた。
しかし、中国側はセンゲ首相との接触を拒否しているほか、そもそもCTAの存在自体も認めておらず、「完全無視」の姿勢を貫いている。
※SAPIO 2011年9月14日号