3.11後の日本に必要とされるのは、復旧・復興力であり、もう一つは、それに裏打ちされた発想・構想力である。それらを兼ね備えた政治家といえば田中角栄にとどめを刺すだろう。彼が進めたであろう「被災地復興の具体策」と「次世代日本のグランドデザイン」を、『田中角栄 その巨善と巨悪』(日本経済新聞社刊)の著書がある水木楊氏が描いた。
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もし角栄ならば、岩手・宮城・福島など大きな被害を受けた地域へ、すぐにヘリコプターで飛んだだろう。ちなみに、彼が主導した関越トンネルの建設の際は、角栄自らヘリで飛び、「ここに通せ」と指示をしている。
そして、ヘリで被災地に降り立ち、長靴姿で手ぬぐいを片手に「よう、よう」などと言いながら地元住民たちの要望を聞いた上で、角栄は、「この高台に新しい街を作る」「この津波浸水地域は、すべて国が買い上げる」など、具体的に復興計画を立てるのではないか。今のような時こそ、彼の土木技師としての知識と技術がいかんなく発揮されたはずだ。
「国による土地買い上げ」や「高台移住」については、郷里に愛着のある被災者から反対の声も少なくない。だが、全員が満足する答えなど、最初からない。
こういう場合、角栄ならきっと、「将来の日本のためだ」と言って、補償金を提示するだろう。それも、被災者たちが想像しているよりもひと桁多い金額を出すのだ。
例えば500万円だと思われているところ、3000万円を提示されれば、多くの被災者たちは納得して移住するだろう。カネの力にモノを言わせるということではあるが、結果的に、そちらのほうが早く復興が進み、小出しに支援を進めていくよりも、トータルでは安くあがる可能性もある。
必要なところにはカネを惜しまず、インフラを整えて経済的な基盤を作るのは、角栄の得意とするところだ。
昭和23年頃、角栄が新潟三区から初当選を果たした直後のエピソードである。小千谷市の住民が信濃川の堤防改修を陳情した時のこと。角栄はすぐに建設省の河川局長のもとに足を運び、
「おい、局長。堤防造ってくれや」
と大声を上げた。びっくりした局長は、「その地域は計画に入っておりません」と答えたが、角栄はこう反論した。
「だめなのをでかす(実現する)のが政治ではないか」
こうして、堤防改修は実現した。
また、山古志村の村道を県道、そして国道に昇格させたという逸話も、象徴的だ。
山古志村の中でも、さらに山奥にある小松倉の人々は、冬場、雪に閉ざされる中山峠に苦しんでいた。病人を背負って峠越えをしている途中、病人が息を引き取ることもあった。そこで、村の人々は自分たちでトンネルを掘り、昭和24年にやっと開通させた。だが、人力で掘ったトンネルは狭く、足元も悪かった。
そこで、住民たちは角栄に陳情したのだが、角栄はトンネルが走っている村道を国道へと昇格させ、国家予算で広く頑丈なトンネルを建設したのだ。
その結果、角栄はこれらの地域に磐石の地盤を築くことになる。今から考えれば、「地方議員の典型的な利益誘導」だが、それがすべて悪だったとは言えないだろう。もし角栄が強引なまでの行動力で実現しなければ、それらの地域はその後も陸の孤島であり続けていたはずだ。角栄が動いて、道路や橋など様々なインフラが整ったからこそ、地域の経済基盤ができたと考えることもできる。
今、“あれはできない”“これは無理だ”ばかりで復興がなかなか前に進まない被災地の現状を見れば、きっと角栄は「だめなのをでかすのが政治だ」と叫ぶに違いない。(談)
※SAPIO2011年9月14日号