いまや世界的ピアニストとなった辻井伸行さん(22)。世界各国でのツアーだけでなく、先日はテーマ曲を手がけた映画『神様のカルテ』(全国東宝系)が公開され、ドラマ『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)で音楽を担当するなど、幅広く活躍している。そんな彼が「先生がいたから、ぼくはピアニストになれた」といってやまない恩師のひとりが、川上昌裕さん(46)だ。
そんな川上さんと辻井さんとの師弟関係に迫った一冊『辻井伸行 奇跡の音色 恩師・川上昌裕との12年間の物語』(榊原一光/著、アスコム刊)が出版された。川上さんはこう話す。
「最初に会ったときは、それほどしゃべる子ではありませんでした。6才ですから私の話を理解しているか疑問でしたが、話がよく通じ、とてもいい反応でした。私の“やっていけるだろうか”という緊張が吹き飛んでしまうくらい、性格の明るい子。これから人生で起きることを楽しみにしているという印象でした」
川上さんが初めて辻井さんに対面したとき、そんな印象を持ったという。小学校1年生から高校3年生までの12年間、頻繁なときで1日おきにレッスンを行った。まず川上さんが取り組んだのは、視覚にハンディがある辻井さんのために、「譜読み」のテープを作ることだった。「譜読み」とは文字通り、楽譜を読んでいくこと。テンポや音の強弱など、曲を弾くのに必要な情報をどう伝えるかが課題だった。
「楽譜というのは、まだ音楽じゃない。データなんです。それを弾く人が解読して演奏することで、音楽になる。彼にいったのは、“耳で聞いて自分の頭で考えるべし”ということ。自分で考える力を早く身につけなければならないと考えました」(川上さん)
<それは川上自身が、自分の声と演奏で楽譜の内容を辻井に伝えるという手段だった。カセットテープに楽譜に書かれた情報を録音すれば、辻井の楽譜代わりになるのではないか。川上は、右手と左手のパートを別々に演奏して録音し、それに口頭で説明を加え、辻井に渡すことにした>(『辻井伸行 奇跡の音色 恩師・川上昌裕との12年間の物語』より)
自宅での録音は、5分の楽曲を録音するのに1時間以上かかることもあった。エアコンの音がはいらないように、夏は汗だく、冬は洋服を着こんで行い、妻の足音がはいらないようにと録音時には部屋から遠ざけた。
「本にそう書かれているのを読んで、『大変でしたね』といわれるんですが、そこまで大変ではなかったかな(笑)。当時まだ29才で若く、自分もピアニストとしての演奏活動や講師などたくさんのことをしていましたから、そのひとつという感じで。でも、“教える”という私の専門性を深めるうえで、辻井くんのレッスンから学んだことはとても多かったと思います」(川上さん)
※女性セブン2011年9月22日号