本誌SAPIOの連載『ゴーマニズム宣言』で、昨年の秋より国防について論じてきた小林よしのり氏。150ページにおよぶ大幅な描き下ろしを加えて、ついに単行本『ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論』(小学館刊)が9月2日に発売となり、ベストセラーとなっている。
描き下ろしである最終章「原発と国防」では、脱原発を進めると同時に、核兵器開発に乗り出すべきという、これまでにない衝撃的な提言をした。小林氏があらためて原発なき核武装を真正面から論ずる。
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1960年代までの日本の歴代首相は、真剣に「核武装」を考えていた。池田勇人や佐藤栄作は、日米首脳会談で「中国が核武装したら、日本も必ず核武装する」と発言している。
原発はもともと原子力潜水艦の原子炉の民事転用であり、どこの国でも原発は軍事と不可分である。日本の原発計画も、当初は核武装までを視野に入れていた。
しかし、日本の核武装を最も警戒したのがアメリカである。日本の原発はアメリカの技術の輸入から始まったが、その際導入されたのは、核兵器製造には不向きな軽水炉だった。さらに全ての原発にIAEA(国際原子力機関)の厳格な核査察が毎年1、2度入るなど、日本の原発は特に核兵器開発と切り離され、「平和利用」に限定することを強いられてきた。
さらにアメリカが日本のプルトニウム保有限度量を60トンまでと決めたために、原発を運転すればするほど増えていくプルトニウムを消費するために、超危険な高速増殖炉やらプルサーマル(ウランとプルトニウムも混合燃料)やらに手を出さざるを得なくなった。
そんな中で福島第一原発事故が起きた。今や日本列島は地震活動期に入り、再び同様の、あるいはそれ以上の原発事故がいつ起きても不思議ではない。
今や原発は国防上最大級の不安要素となり果てている。「作ろうと思えばいつかは核兵器を作れるため」などという理由で原発を持っておくわけにはいかない。
一方で本当に国防を考え、抑止力を持ちたいと思ったら、真正面からいくしかないのだ。現在発売中の『ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論』で論じたとおり、リスクが大きすぎて何の得もない原発を全廃する一方で、核武装を達成しなければならない。
「核武装をするなんて言ったら、国際社会から孤立する」という決まり文句があるが、国際社会の反対を押し切って核武装したインドもパキスタンも国際社会から孤立などしていないのに、なぜ日本だけは核武装したら孤立するというのか?
まず必要なのは「断じて核兵器を持つ」という意志と覚悟だ。日本こそが「核武装してもやむを得ない」という説得力を持つ条件を、いくらでも国際社会に開陳できるはずではないか。
今のところ最初で最後の核攻撃を受けてその恐ろしさを骨身にしみて知っている国であり、現実に核ミサイル保有国に囲まれ、中国・北朝鮮は明らかに日本を標的にしているという脅威が厳然と存在しているのである。国防のための核武装は独立国に認められる当然の権利である。これに誰がどう異議を唱えられるというのだ?
※SAPIO2011年10月5日号