震災から半年を経て、被災者たちの生活の場が変わっている。新しい土地へと引っ越す人もいるが、多くは地元での再起を目指して仮設住宅にはいる。
被災者たちは少しずつ日常生活を取り戻しつつあるが、大切な家族を失い、喪失感から抜け出せない人もいる。岩手県陸前高田市では、県内最多の1997人の死者・行方不明者が出た。
市内で食堂「くっく亭」を経営していた河野義典さん(47才)は、母親を失った。
「お袋は市民体育館に避難する途中で津波に流されてしまったようです。震災から1週間後、遺体となったお袋を見て涙がボロボロ出ました。悔しいんだか、悲しいんだかわかんねえけど、“助けられなくてわりかったなあ”って、力が抜けてしまいました」
20年経営した店舗と自宅もすべて流され、震災後は妻・香織さん(47才)、娘の留美さん(15才)と高田一中の避難所で過ごした。しばらくは悲しみに暮れていたが、避難所の炊事係をボランティアで担当。毎日朝から晩まで被災者の食事の世話をするなかで、徐々に元気を取り戻した。
しかし、8月11日の避難所閉鎖後、仮設住宅へと居を移すと、河野さんは再び虚脱状態に陥ってしまった。忙しい避難所の炊事場を離れ、ぽっかりと時間が空いたことで、自分の置かれた現状を改めて見つめるようになったという。母の死、津波で流された自宅、見つからない仕事…いくら考えても明るい未来が想像できない。
「朝目覚めると、自分が宙に浮いた感じがしました。ひどいときは結構落ち込んで自殺が頭をよぎったこともある。自営業は失業保険もなく、町が壊滅的な被害を受けたなかでとくに苦しい立場にいます。収入がねえことはすごいプレッシャーです」(河野さん)
それでも妻や避難所で知り合った支援者に励まされ、徐々に元気を取り戻した。
香織さんは、仮設暮らしのマイナスよりもプラスに目を向けるよう心がけている。
「確かに大変な状況だけど、そればかりではありません。夫と食堂をしていたころは忙しかったので、家では休みたくてあまりご飯を作らなかったんです。でも、仮設にはいったら毎日食事を作っています。結構新鮮で、いろんな発見をするよう心がけていますよ」
※女性セブン2011年9月29日・10月6日号