最近は「光宙」(ぴかちゅう)、「羅舞」(らむ)、「夜舞刀」(やまと)、「稀羅璃」(きらり)、「魅留久」(みるく)といった読み方をさせた子どもの名前が区役所に届けられているという。いったい、いつから何をきっかけに、そのような名が登場し始めたのか。作家の山藤章一郎氏がリポートする。
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「お疲れさんです」
歌舞伎町の広告代理店〈愛心社〉の応接ブースを「悪羅悪羅(おらおら)」系ファッションでキメた若者が次々に横切る。
挨拶を受けているのは、岩橋健一郎さん(45歳)という。別称〈ヤンキー界の重鎮〉。
「まあまあ(週刊)ポストさん。ご苦労さまでございます」
きれいに剃りあげた眉にスキンヘッドの迫力、たばこの煙を鼻と口から同時にプハアッと吐きだした。だが言葉は丁寧である。
「そりゃヤンキー漢字から来たんですよ。いいとこに気がつきなすった。愛羅武勇(あいらぶゆう)、仏恥義理(ぶっちぎり)とかを使ってた私たち不良暴走族が親になって、子どもにそんな漢字を当てはめるようになったんです」
〈重鎮〉は、「80年代の前半、爆音と暴走に生きたどストレートな横浜の暴走族」だった。
『金八先生』が盛り上がり、〈荒れる中学〉が全国で猛威を奮った時代である。ヤンキー漢字はそんな時代を背景に横須賀で発祥した。
不良たちの徒党〈横須賀連合〉の傘下で、ハーフの子らが、〈ジュテーム〉や〈ピエロ〉を名乗って、大音響の排気音を立て、車両を連ね、低速蛇行して、道路を週末ごとに占拠した。
「しかし連合は、カタカナの〈ジュテーム〉なんか認めませんでした。特攻服の背中にチーム名の漢字をタテ書きにしろと。それで、〈呪諦夢〉〈非笑路〉に。〈夜露死苦〉もこっから出てきた」
――横須賀がヤンキー文化の発祥地ですか。
「いや、そこははっきりしないんです。『ヤンキー』という言葉に関しても、関西の河内弁の〈やんけぇ〉が語源という説もありますし。『おまえらしばいたろか。ここで走るな、ゆうたやんけぇ』です」
※週刊ポスト2011年9月30日号