原節子ほど謎に包まれた女優はいないだろう。芸能生活28年で108本もの映画に出演するが、1963年に小津安二郎監督が60歳で亡くなったのと同時に、公の場から忽然と姿を消した。最後に姿を見せたのは、小津監督の通夜の席だった。
何も語らずに銀幕を去った原。彼女の引退の理由は、今も様々な憶測をもって語られる。
「小津安二郎の死を悼んで」という説はよく聞かれる。確かに、原にとって小津は恩師ともいうべき存在だった。俗に“紀子三部作”といわれる『晩春』『麦秋』『東京物語』の小津監督三作品で、原は「大根女優」との批判を脱し、名女優としての立場を確固たるものにした。小津亡き後の映画界に心残りはもうなかったのかもしれない。
映画撮影中のトラウマを理由にあげるファンもいる。1953年、映画会社のカメラマンだった実兄が、撮影中に原の眼前で電車に轢かれ不慮の死を遂げたという。その後、原の出演作が激減したことは事実である。
「美しい女優としてのイメージを守りたかったのでは」という見立ても根強い。原は42歳で引退している。それ以上年を重ねては「永遠の処女」とまでうたわれた彼女の美貌と清廉なイメージを維持できないからというのだ。公式の場に決して姿を見せないことからも、この説は年を経るごとに説得力を増している。
現在、原節子は91歳。鎌倉市の親戚宅で暮らしているとされている。
30年ほど前までは、近所で大好きなタバコを買ったり、玄関前を掃き掃除している姿が見かけられたという。しかし現在ではその姿を見かけたという者すら稀である。時折、ファンたちが原節子の住んでいるといわれる家を訪ねても、親族たちは頑として会わせることはない。
近年、原節子の魅力に再びスポットがあたり、彼女をテーマにした雑誌の特集や書籍の類が数多く出版されている。ひっそりと晩年を送る彼女は、この「永遠の処女」ブームをどんな思いで見つめているのだろうか。
※週刊ポスト2011年9月30日号