野田佳彦首相の発言をきっかけに、再びブームとなっているのが、書家で詩人の相田みつをさん。ときにぶっきらぼうにさえ聞こえるのに、人の心の深淵に迫る独特の詩、そして書体。相田みつをさんとはどんな人だったのだろうか?
相田みつをさんは大正13年(1924年)5月20日、栃木県足利市に6人兄弟の三男として誕生した。本名は光男。
旧制足利中学校を卒業後、曹洞宗の禅僧・武井哲応老師と出会い、禅を学ぶ。若いころから書家・詩人として独特の世界観を表現していたが、世に知られるまでは長い時間がかかった。
1955年、31才のときにろうけつ染めの技術を学び、のれんや風呂敷の制作を始める。包装紙などのデザインで生計を立てていた時期もあった。長男・一人さんが誕生するも、作品がまったく売れず、家計は苦しかったという。
その存在を広く知られるようになったのは1984年、初の著書『にんげんだもの』(文化出版局)の出版がきっかけ。このとき、みつをさんは60才。同書は200万部を超える大ベストセラーとなった。
作品のクオリティーに対するこだわりは人一倍強く、「逢」という一文字を書くために何千枚もの紙を使い、「無駄になった紙でお風呂を焚けるほどでした」(一人さん)。
同じく書家として活躍中の武田双雲さんはいう。
「幼いころから、家に相田みつをさんの作品が飾ってありました。彼の作品が好きですし、その存在を偉大に思います。作品を仕上げるのにたくさんの紙を無駄にしたといいますが、きっと本人にとっては何の苦労でもなく『なんかしっくりこない』という気持ちだったのでしょう。ぼくも書を書くときの気持ちは一緒ですから」
「一生勉強 一生青春」
みつをさんが生前繰り返し書き、その言葉どおりに生きたといえるこの書は、みのもんた(67)も座右の銘にしているという。
世に注目されるようになってからわずか7年後の1991年12月17日、足利市にて永眠。67才だった。
そして2011年。3月11日の震災後、「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」の言葉がブログやツイッターで話題となり、共感を呼んだ。没後20年に当たる今年、再び脚光を浴びている。
※女性セブン2011年9月29日・10月6日号