領土問題については、これまで一方的にやられっぱなしだった日本。だが最近、日本外交の反撃が見られるようになってきた。一体何が起きているのか。ジャーナリストの武冨薫氏が指摘するのは自民党を中心とする「日韓議員連盟」が去ったことが影響していると指摘する。
* * *
韓国政府は震災直後の3月末に竹島でヘリポートの拡張工事に着手し、6月には大韓航空機が通常の飛行ルートを外してわざと竹島上空をデモフライトする「領空侵犯」事件が発生、これに対し、大韓航空機の領空侵犯では、松本剛明・前外相が「領空侵犯だ」と抗議して外務省職員に1か月間、同航空会社の利用を禁止した。日本の外務省が韓国にはっきり「報復措置」をとったのは近来にない。
さらに、外務省は竹島領有問題を国際司法裁判所に付託する方針を検討中だ。韓国に付託を申し入れれば、かつて大平正芳・外相が韓国に提案して以来、49年ぶりになる。
こうした反撃の裏には何があったのか。
民主党政権は尖閣問題はじめ領土外交で「弱腰」を批判されているが、そもそも日本の弱腰外交は自民党政権時代の負の遺産でもある。
日本政府が韓国の竹島実効支配の強化に手をこまねいてきた背景は、自民党を中心とする超党派の「日韓議員連盟」の存在がある。彼らは常に韓国との間で波風が立たないように融和路線を取り、両国間にコトが起きると、「金持ち喧嘩せず」とばかりに日本の主張をひっこめてきたのだ。
それを象徴する出来事が今年8月にもあった。「竹島強硬派」の自民党国会議員3人が鬱陵島視察のために韓国・金浦空港に到着したところで入国を拒否された事件だ。この時、メンバーの1人は事前に日韓議連の重鎮である自民党大物議員から、「日本と韓国は、北朝鮮の6か国協議でも協力していかなければならない。ここで日韓関係を悪化させるような視察をすべきではない。まさか本当に行くつもりじゃないだろうな」と強い圧力をかけられたという。
外務省でも、「歴代の駐韓大使は日韓議連会長を務めた竹下登・元総理、森喜朗・元総理ら親韓派政治家に近い官僚から起用されてきた」(同省アジア大洋州局OB)とされる。
外交交渉で言うべきことを言わない姿勢を続けてきた結果、自民党政権末期の2008年、日本は竹島問題で歴史的な外交敗北を喫している。
その年8月のブッシュ大統領の韓国訪問前、米国政府の地名委員会は、韓国側の要求を受け入れて大統領の指示で竹島の表記を「独島」に定め、事実上、帰属先を「韓国」と認めたのである。米国は1951年のサンフランシスコ講和条約の際、韓国への外交文書で「竹島は日本領」と説明していたから、方針の大転換だ。当時、韓国では米国産牛肉の輸入再開に反対する反米デモが繰り広げられたとはいえ、米国が「竹島」を韓国に売ったに等しい。
問題は、その決定に対して、時の福田政権が、「米政府の1機関がやることに、あまり過度に反応することはない」(当時の町村信孝・官房長官)と一切抗議をしなかったことだ。しかも、竹島問題での日本の姿勢に抗議して一時帰国していた韓国の駐日大使が、米国の独島容認後に意気揚々と日本に戻ると、当時の薮中三十二・外務事務次官は、「結構なことだ」と歓迎した。まさに、自民党も外務省も事なかれ外交の体質にどっぷりつかってきたといえる。
これがわずか3年前の日本外交の姿なのである。
その後、日本では民主党への政権交代で長く日韓外交を牛耳ってきた自民党の韓国融和派は政権から去った。しかし、鳩山政権時代も、高校の地理の新学習指導要領解説書に竹島を日本領と明記せず、岡田克也・元外相は、「不法占拠という言葉は使わないよう交渉している」と言明するなど、極力、韓国を刺激しない姿勢をとってきた。
勢いづいた韓国は領空侵犯のほかにも竹島の北西1kmの洋上に「総合海洋科学基地」の建設を計画し、鬱陵島の海軍基地を3倍に拡張する工事を始めるなど実効支配を強化。遅きに失した感はあるものの、外務省の領土派は「ここで国際社会に声をあげなければこの先チャンスはない」と後がない状態に追い込まれていたのだ。危機感から生じた反撃だったと言っていい。
※SAPIO2011年10月5日号