江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の名を知らない日本人はいないはずだ。90年の生涯で浮世絵版画から漫画まで手掛けた異才の芸術家であることをご存じかもしれない。
多くの作品を残した北斎は日本以上に海外での評価が高い。1998年に米国「ライフ」誌が企画した「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」では、日本人でただ一人北斎だけが選ばれている。現在ドイツでは、北斎作品約440点を一堂に集めた『日独交流150周年記念北斎展』(会場「Martin-Gropius-Bau」10月24日まで国際交流基金ほか主催)が開催され大好評だという。
しかし、北斎の特筆すべき“才能”は、老境の域に達してから道を極めた“情熱”に尽きる。代表作『冨嶽三十六景』が数え年で71歳前後の作品であるのが証左だ。
「……七〇歳前描くところは実に取るに足るものなし。……九〇歳にしてなおその奥意を極め一〇〇歳にして正に神妙ならんか」
北斎が75歳の時に出版した『富嶽百景』の中の一文である。
70歳といえば今の世でもほとんどの人が老け込む年齢だ。ところが北斎は、はるか昔の江戸の世でさらに高みを目指して目をギラつかせていた。現代人が見習うべき究極の「老人力」の持ち主といえる。
「人生50年の時代に70歳で新たな道を切り拓いたというのだから驚嘆の一語に尽きます。今の世でも、会社を退職して盆栽いじりしている場合じゃないし、北斎を知れば若い人たちにも『やる気を持ち続ければ夢は必ず叶う』ということがわかるはず。北斎はこれからの日本人の指針といえます」(北斎研究家・永田生慈氏)
尋常でない創作への意気込みは80歳を超えてからも加速した。
85歳にして弟子の高井鴻山が住む信州まで足を延ばし、多くの作品を残している。当時の交通事情を考えると想像を絶する旅だった。
「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
1849年4月18 日、数え年90歳で息を引きとったときの言葉だ。最後まで枯れることなく上を見続けた北斎の姿は、我々にとって人生の羅針盤といえる──。
※週刊ポスト2011年10月7日号