「政治主導」をうたいつつも、結局は「官僚主導」になっていく。そこに大きな影響をもたらすのが国家予算を握る財務省の存在。だが、国家の予算を握っていることだけが最強官庁・財務省の権力の源泉ではない。むしろ、この役所の情報収集力と組織の結束の強さこそ、官僚主導政治を根付かせてきた秘密だろう。
財務省が「鉄の結束」を維持してこられたのは、22歳で入省してから、それこそ墓場まで、人生のすべてを役所と官僚ネットワークで面倒みるという堅固な人事システムを構築してきたからに他ならない。
毎年20人程度しか採用されないキャリア官僚(本省採用の国家公務員I種試験合格者)の出世レースは熾烈である。
「最近でこそ優秀な学生が民間に行ったり他省庁に取られたりする例も増えているが、かつては国Iを上位で合格→大蔵省入省というのは、東大や京大の最も優秀な学生たちが目指す最高の進路だった。やや大袈裟にいえば、全国の同級生数百万人のトップ20が大蔵省の同期としてひしめき合うようなものだった。
そのいずれ劣らぬ秀才同士が出世を競い、最後に残った1人が事務次官のイスに座ることになる」(ジャーナリスト・小泉深氏)
出世レースは入省時から始まってはいるが、当面、その結果は表に出ない。
若きエリートたちは20代半ばに揃って海外留学を経験して“国際的見聞”を広め、帰国して30歳前後に各地の税務署長として初めて地方勤務を経験する。さらに30代半ばになると今度は地方財務局の理財部長などに2度目の出向を命じられ、こうした「ドサ回り」で金融機関や地方財界との人脈、交際ノウハウを身につける。もちろん接待の味も覚える。
そして「次官になれる者」が一気に絞られるのが、次官レースの登龍門である「文書課長」「秘書課長」人事である。通常、入省から20年目くらいの次官候補が抜擢される重要ポストであり、ここに就けるか、同期より早いかが、その後の官僚人生を大きく左右するのである。
その先は、次官候補の指定席である近畿財務局長、主計局長などを経て、ついにエリート集団の頂点である「財務事務次官」に就く。
※週刊ポスト2011年10月7日号