島田紳助の引退により、芸能界と暴力団との関係が取り沙汰されることが多くなってきたが、芸能界とともに、暴力団との関係が囁かれてきたのがプロ野球界。1969年に発生した「黒い霧事件」では、計20人ほどの選手が永久追放などの処罰を受けたが、その後も何度となく有名選手の“黒い交際”が取り沙汰されてきた。関西で野球賭博をシノギにする暴力団関係者は「そもそも野球界と暴力団は切っても切れない関係にある」と証言する。
「いまでも野球賭博は、関西を中心に地方都市では根強い人気がある。1日6試合それぞれにハンデが出て、賭けのうえでは強いチームと弱いチームが互角の勝負になるように調整されているが、このハンデを出すのにプロ野球関係者が関与しているのは常識だ」(暴力団関係者)
関西の3か所から元ハンデといわれる数字が出ているが、各胴元は、自分の顧客の張る傾向に合わせてそのハンデを修正して使う。
「ハンデの読み違いは大きな損失になる。だから先発投手は誰かといった情報収集には真剣なんや。その情報を得るためにワシらが使うのが元野球選手やコーチ陣。タニマチと称して関係者を選手に近づけることもする。
ワシらが直接顔を出すようなことはない。紳助のときも間に渡辺二郎という元ボクサーを使っていたように、気づいたら取り込まれていたという状況にするわけや」(暴力団関係者)
息のかかったカタギの人間を後援会にもぐりこませ、選手と親しくさせる。高級時計をプレゼントするなど、親交を深めさせ、携帯番号を交換できるような関係を結ばせるという。
「そうして携帯で話ができるようになれば、シーズン中に“今日投げるんか”と聞いて、“ちょっと肩に違和感があって投げられない”といった情報が手に入るようになる」(暴力団関係者)
このように、暴力団関係者にとって有名選手との交際は、“仕事”の役に立つうえ、「タニマチ」然として振る舞うことで、周囲に大きな顔ができる。一方、選手にとっても、豪勢な接待や受け取る金品は大きな魅力だ。そもそも野球漬けの生活を送ってきた選手の中には、幅広い人脈を持ち、夜の世界の顔である暴力団関係者に一種、憧れの念を抱いている者もいる。
1999年には、巨人の清原和博と西武の大塚光二が、1996年12月に暴力団関係者と一緒にゴルフをしていたとされる写真が週刊誌に報じられた。清原、大塚とも暴力団関係者と一緒にゴルフをしていたことを認め、それぞれの球団から「軽率な行為があった」として厳重注意処分を受けた。
同年10月には当時、巨人の内野守備コーチを務めていた篠塚和典氏が「車庫飛ばし」を行なっていた山口組系後藤組の関連企業の役員を務めていたことが発覚。警視庁から自宅を家宅捜索される事態となり、年内謹慎処分を受けている。
その後、球界ではこうした暴力団との関係を断つために、2003年12月、「プロ野球暴力団等排除対策協議会」が開かれ、「暴力団等排除宣言」が採択されたものの、その後も「有名選手がレイプした女性から謝罪を求められ、暴力団を交渉の場に入れ被害女性を脅す」事件が発生したりもした。
※週刊ポスト2011年10月7日号