車1台当たり2万~3万個の部品が必要とされ、たった1つが不足しても組み立てられなくなる……。震災後、電力不足と円高により苦しめられている日本の製造業の中でも、自動車メーカーは部品不足による減産を余儀なくされ、今年度第1四半期は軒並み営業減益となった。ところが、三菱自動車工業だけは営業増益を達成する。いかにして同社はピンチを回避したのか。その答えは震災直後のリーダーの決断にあった。ジャーナリストの福田俊之氏が報告する。
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「リーマン・ショック後とは違う」。3.11直後に、三菱自動車工業の益子修社長はそう直感したという。
リーマンの時は世界中のどこで車をつくっても売れなかった。しばらくの間、大幅減産という悔しい思いをしたが、今回は世界的な需要は旺盛。ならば大震災による危機を乗り越えるために1台でも多くつくるしかない。無理を承知で益子社長は現場の担当者に指示をした。
しかし、サプライチェーン(部品供給網)が寸断され、自動車メーカーの生産活動が深刻な影響を受けていた。被災地から遠く離れた同社の岡山や名古屋にある工場でも、従業員の安全確認や在庫部品の調整などで一時、生産停止を余儀なくされた。しかも、追い打ちをかけるように歴史的な超円高、原発事故による電力不足が急浮上する。
先が読めない。「このまま国内の生産拠点でつくり続けることがベストの選択か」益子社長は自問自答した。
震災から3日後、益子社長は生産計画の見直しに着手した。平時なら1か月前に需要を見込んで生産台数を決めるが、震災直後は在庫部品を1個ずつカウントした上で2日後は何台つくれるかを、毎日夕方の5時までに決定した。それでも手詰まり感が出る。生産現場からはいらだちの声が上がる。1台でも多くつくるために別の手段はないか。そう考えた益子社長は「まず、本社に集まった情報を分析しながらグローバルの視点でどこにプライオリティーを置くかを見極めた」という。そこでタイで集中生産を行なうことを決定した。
理由は大きく分けて3つ。1つは、タイ工場周辺には部品メーカーが多く集結し、自動車の生産基地として恵まれていること。2つ目はタイ国内でここ数年、新車販売台数が2ケタ増で伸びているほか、近隣のASEAN諸国の需要が急激に高まっていること。工場がタイ唯一の貿易港と隣接しており、輸出基地にも適していた。
3つ目は、中国などより労働賃金が低く、しかも、政情不安などのリスクが少ないこと。昨年春、反政府派と治安部隊が衝突する騒乱が起こったが、デモ隊は市街地の一部は占拠したものの、空港や港湾の閉鎖を避けた。タイでは、与野党の意見対立はあっても、経済を活性化させることでは一致している。税制面での優遇や海外企業の誘致などにも熱心である。
車1台当たり2万~3万個の部品が使われるが、たった1つの部品でも不足すると組み立てられなくなる。タイの工場には現地調達でカバーできない部品が世界中からかき集められた。震災後、タイでもトヨタの工場などは平均稼働率が3割近くまでダウンしたが、三菱は「通常生産を維持し続けた」(村橋庸元ミツビシ・モーターズ・タイランド社長)という。
業績にもプラスの効果が表われた。2011年4~6月期の世界販売台数は前年同期に比べトヨタ、ホンダなどは軒並み30%を超える大幅な落ち込みとなったが、三菱は16%増と伸ばした。しかも、自動車大手8社の中では三菱1社だけが増収増益を確保し、最終損益も08年以来3期ぶりに黒字に転換した。
※SAPIO2011年10月5日号