中尾亘孝(なかお・のぶたか)氏は1950年生まれ。早大中退後、SF雑誌編集者を経て、ラグビー・ライターに。著書に『ラグビー文明論』『21世紀のラグビー』などがある中尾氏は、0勝に終わったジョン・カーワンヘッドコーチが率いた“JKジャパン”の5年間を「カネと時間だけを浪費した壮大な無駄」と切り捨てる。
* * *
2戦目のニュージーランド戦に日本は主力を温存。そのやり方はファンを二分する論争となった。結果は7対83の惨敗で、「ハミルトンの失笑」と呼ばれる屈辱を味わうことに。1995年W杯南アフリカ大会でニュージーランドに17対145で敗れた「ブルームフォンテーンの惨劇」(※)に匹敵する歴史的敗戦である。
1995年のあの試合で、日本は今大会同様、「どうせ勝てない」と控え中心のメンバーで戦い惨敗した。このあまりにも一方的な試合は、深夜ながらNHKでテレビ放映され、今日のラグビー人気低迷の元凶となりました。
あの試合こそ、日本ラグビーの負のスパイラルの原点。だから今回の試合は主力を温存せずに、たとえ負けても堂々と戦って、その屈辱を払拭してほしかった。ニュージーランド戦から逃げるような采配をした挙げ句、1勝もできなかったのは犯罪も同然です。
特に今回ニュージーランドでの戦いですから、本場の目利きのファンの前で、リスペクトされるような戦いをしてもらいたかった。地元のファンは90歳のおばあちゃんまで目利きで、素晴らしいプレーは孫子の代まで語り継ぐ。例えば1968年の日本代表は、オールブラックスジュニア相手に坂田がどんなトライをしたかまで憶えているんです。
たしかに中4日でトンガ戦という厳しい日程でしたが、そういう星勘定をするのはある程度実力のあるチームの話。日本は使える選手はみんな使って、壊れたら仕方がないというやり方でもよかったと思う。結局、この大会は何一つ収穫がないままに終わってしまった。JKジャパンの5年間は、カネと時間だけを浪費した壮大な無駄だったといえます。
それは日本ラグビーフットボール協会が招いたもので、1995年の惨劇以降も、批判的分析や合理的総括もせず、責任の所在を曖昧にしたまま、次のステージに行くことを繰り返してきた。この「失われた16年」のダメージを負った状態で日本は8年後のW杯自国開催を迎えることになるんです。
※ブルームフォンテーンの惨劇/捨て試合扱いにして控え中心のメンバーで挑んだが、対する控えメンバー中心のNZに全く歯が立たなかった。試合開始から90秒後に先制トライを決められて以降、約3分ごとにトライを決められ前半だけで84点、後半に2トライを返したものの61点取られた。NZはこの試合で得点(145)、トライ数(21)、得点差数(128)のW杯新記録を樹立。
※週刊ポスト2011年10月14日号