きっかけは本誌報道だった。週刊ポスト9月30日号で財務省による「豪華官舎」の建設再開を報じると、野党が国会で追及し批判が巻き起こった。財務相時代に建設再開を認めた野田首相は、一転して「再凍結」の政治決断を下すドタバタ劇を演じた。この背景には根深い利権構造が潜んでいる。
公務員問題に詳しいジャーナリスト若林亜紀氏が、レポートする。
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総理大臣の目に入るのは、やはり国民ではなく、財務官僚なのかもしれない。
10月3日、野田佳彦・首相は埼玉県朝霞市にある公務員住宅の建設予定地を視察し、「5年間の凍結」という判断を下した。だが、この「政治決断」に騙されてはならない。
そもそも、これは野田氏の自業自得である。埼玉県朝霞市に総事業費約105億円を掛けて850戸の高層マンションを建設、3LDKで約4万円という格安家賃で官僚を住まわせるこの計画は、2009年に「事業仕分け」で一度は凍結されたものを、翌年、財務大臣になった野田氏が再開したワケあり物件だった。これが財務官僚から「野田さんの最大の功績」とホメそやされ、財務官僚の援護による野田政権誕生の原動力にもなったのである。
しかし、首相就任前日にいよいよ現場の工事が着工されると、地元の反対派住民は必死で抵抗し、本誌をはじめとするマスコミが取り上げたことで疑問の声は国民にも広がった。国会で野党から問題視する質問が相次いだことで、野田氏はついに2度目の方針転換を迫られたのである。
野田氏が慌てたのも当然である。同氏は、財務官僚のいいなりどころか、むしろ積極的に建設再開を後押ししていたからだ。
朝霞市の政治関係者が語る。
「あの官舎は、地元選出の民主党代議士が財務省の政務三役に陳情し、建設再開が決まった。ただの官僚の横暴ではない」
その代議士とは神風(じんぷう)英男・衆院議員。小沢グループである一新会の所属だが、松下政経塾出身で首相の後輩にあたる。しかも首相側近である武正公一・衆院議員の秘書だった人物で、野田内閣では初の政務官に抜擢された首相の子分だ。
神風氏は今年行なわれた地元商工会の会合で、得意気に挨拶した。
「財務省で政務官に要請をしてきました。その結果、おかげさまで今回、事業が継続するという、予算がつくという形になったところであります。私の立場としてはこれを全面的に後押ししたい、応援したいと思っております」
自分の子分の手柄として再開を決めた経緯があるからこそ、野田氏は他人事とはいえなかった。わざわざ現地に行き、「官僚社会の仁義」を通したうえで再凍結しなければならなかったのである。
つまり、一度動き始めた事業を「再凍結」するために、多忙な首相が現地に行き、マスコミの前で前言撤回して恥をかくことではじめて、関係者への顔が立つ。そうしなければ、財務省は納得しなかったのだろう。
だから、野田氏の言葉を普通の日本語として理解してはいけない。彼は確かに「5年凍結」といった。安住淳・財務相はそれに加え「幹部用宿舎は今後建設しない」「都心3区の宿舎は危機管理担当者用をのぞき廃止」を表明した。
しかし、財務官僚が連日徹夜して考え出したこれらの言葉は、官僚の辞書では全く別の意味になる。その真意は、「建設は5年後に再開する、若手・中堅向けの宿舎は作る、都心の豪華物件はすべて危機管理担当者用にしてしまおう」ということなのだ。
※週刊ポスト2011年10月21日号