【書評】『三時のわたし』(浅生ハルミン著/本の雑誌社/1680円)
【評者】嵐山光三郎(作家)
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著者は売れっ子のイラストレーターで、エッセイに抜群の冴えがある。瞳がきらりとうるむ長身の麗人で、猫と暮らしている。こけしが好きでヘアスタイルもコケシ型である。古本に造詣が深い。
著書『私は猫ストーカー』が映画化されて、一年以上のロングランとなった。モッカ躍進中で、これからドンドン出てくる要注目の才媛だが、この本では二〇一〇年の一月一日より十二月三十一日までの一年間、毎日午後三時になにをしていたかをイラストと文章でつづった。つまり「自分ストーカー」の告白的一年伝。
お正月は実家のコタツにもぐりこんでイラストの下描きをして、四日には東京へ戻って、うどんを茹でて仕事はじめ。胃カメラを飲む以外、大した事件もなく、タンタンと時間がすぎていく。
亡くなった古本雑誌「彷書月刊」の田村治芳編集長がたびたび出てきて泣かせます。いろんな人が実名で登場し、日記を盗み読むような好奇心がわき、読みはじめると「午後三時以外は、だれとなにをしていたのか」とセンサクして、ハルミンストーカーになってしまう。とくに実名で出てこないKちゃんが気になる。
フシギな吸引力があって、日々仕事に追われている「謎の女」が、あっけらかんとしつつも、世間というバケモノにどう対応していくか、がスリリング。
つまりは自分の観察で、自分を実験している。しかし、かつての私小説家のような淫乱な告白があるわけではない。
仕事をしながら押し入れの中を掃除して、「スリッパで殴りつけてくるおばあさん」を思い出すシーンがいい。十一月二十一日の「自分で自分を消す女」のイラストがせつなく、三日連続して自分の姿の下半分を消している。
なにがあったんだろうか。と読者を心配させる手管は並のものではない。筆者もまたバケモノ化していく。イラストで日記を批評し、挑発する。イラストと日記が格闘し、「なめんなよ」とドスをきかすところが力技である。
※週刊ポスト2011年10月21日号