10月5日に亡くなったアップル社の創業者・スティーブ・ジョブズ(享年56)は30歳の時、自らつくったアップルを追放されたのは有名な話。
追放後のジョブズにとって、唯一の“成功”は、映画監督ジョージ・ルーカスの配下にあった「ピクサー」を買収したことだ。
もっとも、ジョブズはピクサーで再びコンピュータを製作する気だった。だがスタッフは、激情家のオーナーの眼を盗みアニメ制作に没頭していく。皮肉なことに、それが功を奏した。
『トイ・ストーリー』の大ヒットを機縁にディズニーはピクサーを買収、ジョブズはディズニー取締役に就く。再び追い風が吹き始めた。
1997年、アップルCEOギル・アメリオはジョブズを復帰させる。ジョブズが去ってからも、同社の不振は眼を覆うばかり。ゲイツ率いるマイクロソフトとの差は開くばかりだった。
そんな状況下、古巣に戻ったジョブズが、真っ先に着手したのはアメリオを駆逐することだった。ジョブズは、彼を「船底に穴が開いて沈みかけている船長」といってはばからなかった。経営コンサルタントでアップル社で働いた経験を持つ竹内一正氏はこう語る。
「アップルの経営者は自分という想いが強烈だったのでしょう」
ジョブズは有力誌「フォーチュン」の記者にアメリオ批判の特集を組ませ、友人の億万長者には、アップルの敵対的買収の意図を漏らさせた。こうして外堀を埋められたアメリオは失脚する。
余談だが、ジョブズは社員のバカな行為を、アメリオのファーストネーム「ギル」という単位で表現した。「君の企画書の出来は1ギルだね」
1997年、ジョブズはアップルの“暫定CEO”に就任する。その年収は1ドルという人を食った金額だったが、マスコミ受けしたジョブズはアップル再建の旗手となる。「Think different」とのスローガンにスタッフは再び燃え立った。ジョブズは周囲の期待以上に大胆な改革を断行し、60種類あった製品を1機種3モデルにまで絞り込んだ。
「セックスアピールのない今の製品はクソだ!」
宿敵ゲイツとの和平交渉にも乗り出した。ウィンドウズOS絶対優位を潔く認め、アップルの至宝である知的財産を譲渡、対価として1億5000万ドルを得た。
クーデターから半年に満たない1998年1月、ジョブズはマックワールドでスピーチをしていた。竹内氏はジョブズの演説を、「登壇前から聴衆は浮足立っています。ロックコンサートと同じ興奮が会場を包んでいるんです」と語る。
観衆が乗れば、当然ジョブズもハイになる。しかし、彼は5分間のスピーチにも数百時間のリハーサルを重ねていた。竹内氏はいう。
「しかも、落語家のように必ずオチをつけるんです」
この日も、彼は降壇すると見せかけ、ゆっくり演壇に戻り、付け加えてみせた。
「いい忘れちゃったよ。アップルは儲かっている」
※週刊ポスト2011年10月28日号