小沢一郎・民主党元代表が陸山会事件裁判の初公判後に行なった記者会見は、小沢氏と新聞・テレビの記者たちの罵り合いの場となった。なぜこんな事態が起きるのか。日本テレビ元政治部長の菱山郁朗氏が分析する。
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いまは政治家もメディアも劣化している。かつては政治家が情報に貪欲で、記者から取った情報を元に政局を読み、政策を組み立て戦略としていた。同時に、派閥担当記者たちは朝から晩までべったりとくっつき、担当した派閥領袖に惚れてしまうところすらあった。象徴的なのが田中角栄と福田赳夫の角福戦争で、それぞれの番記者が酒場でしょっちゅう口論しているのを見かけたものだ。
それでもバランスが保たれていたのは、それぞれの派閥の番記者たちが、担当派閥の批判は避ける一方で、他派閥や野党の動きは厳しく監視していたからだ。敵対する派閥領袖に対して、激しく詰め寄る記者もいた。もちろん、本来は派閥や与野党という次元で情報を判断するのは避けるべきではあるが、当時の記者たちには、今のサラリーマン記者にはない、取材対象に食い込もうとする気概があった。
いまは、政治家も記者も双方を大切にしていない。リクルート事件以降、「政治とカネ」で政治に対する国民の不信が強まる一方、1993年の新党ブームで新人議員が増加した。政治家の質が変わると同時に、米国でテレポリティクスと呼ばれる、テレビ主導の政治が本格的に始まった。経験の浅い政治家でも、テレビで意見して簡単に新しい政治の流れを作れてしまう傾向が定着したのだ。
これによって、政治家と記者たちの関係は希薄になった。政治家は情報に貪欲でなくなったことで、かつてのような見識や政治力、決断力などに疎くなり、問題発言やお粗末な行動が露呈してくる。メディアも政治家との関係が希薄になっているから、目先の揚げ足取りばかりに走る。こうしてお互いが軽挙妄動に向かっているのが、いまの政治とジャーナリズムの劣化である。
※週刊ポスト2011年10月28日号