前人未到の世界体操・個人総合3連覇を果たした内村航平選手(22)。いまでこそ“天才”“怪物”“宇宙人”と評される内村だが、決して順風満帆な体操人生ではなかった。
昭和から平成に変わる直前の昭和64年1月3日、福岡県北九州市で生まれた内村。父・和久さんは“いつか太平洋を渡って、世界に通用するような人間になってほしい”という願いを込めて“航平”と名付けたという。
幼いころの内村は母・周子さんにベッタリだった。2才のときに妹が誕生するが、内村は赤ちゃん帰りして、妹におっぱいを飲ませる周子さんの横でこぶしを握りしめて泣きじゃくったこともあった。
3才のとき、一家は周子さんの故郷である長崎県諫早市に移り住む。かつて体操選手だった和久さんと周子さんが体操教室を開設したのだ。しかし、当初はかなり厳しい環境の中での教室運営だったと和久さんは振り返る。
「お金がなかったので、コンテナを4つ並べて、床にコンクリートを敷いて体育館を作ったんです。上はテントのような素材のシートを丸く、かまぼこみたいにして屋根にしました。住居も一緒でしたから、かなり狭かったですよね。夜は練習器具を片付けて、そこに布団を敷いて寝てました。最初は生徒もいなくて、私がうどん店でバイトをして家計を支えながらやってました」
コンテナの家は、内村の体を蝕んだこともあったという。
「夏は暑いし、冬は寒い。配水管にはキノコは生えてくるし、湿気が多いから、ねずみやムカデとかの虫が大量に発生する。本当に環境は最悪でした…。そのせいで航平はアトピーがひどくなって、一時は眉毛がなくなったこともあったんですよ」(和久さん)
そんななか、夕食が終わればトランポリンで遊び、鉄棒にぶら下がるようになった内村は、ごく自然な形で体操人生をスタートさせた。
※女性セブン2011年11月3日号