ことしのドラフト会議の超目玉は、東海大4年生の菅野智之投手(22・※)。伯父が巨人軍の原辰徳監督という、球界の“サラブレッド”である。そのドラフト“一番星”が、メディアの前で、堂々と告白している。
「ピッチャーとして大切なことは、すべて爺ちゃんから教わりました」
“爺ちゃん”とは、東海大系列校野球部顧問の原貢(76)。辰徳の父親だ。智之がプロ入りした暁には、どんな投手像を貢は描いているのだろうか。
「小山正明さんのようなピッチャー。コントロールが良く、キレのある変化球も3つぐらいあって、ここぞというときに抑えるピッチャーだな。背格好も、小山さんと似ているよ」
小山は正確無比のコントロールを誇り、“投げる精密機械”と呼ばれた。阪神ほか3球団で実働21年。通算320勝、歴代3位。孫について語るとき、好々爺のような穏やかな笑みを浮かべる貢だが、ドラフトの話題になると、またカッと目を見開いた。巨人は昨年12月に菅野のドラフト1位指名を表明し、相思相愛の関係にある。
「そりゃね、巨人に入ってくれりゃ最高さ。ただ、よそにかかったとき、どうするかということも考えておかにゃいかん。1年間棒に振るか。それともアメリカへ勉強に行くか。話し合いはしていないが、おれの頭の中では決めているよ」
辰徳の高校時代にも、進路に迷い、貢は勝代夫人と一緒に渡米している。
「うん、辰徳のときにも、アメリカへ視察に行ったよ。巨人でなかったら、アメリカへ行くのもいい。智之には、そういう可能性もあるということ。おれの教え子がアメリカにいるからね」
貢は鼻息荒く語ると、さらにオクターブを上げた。
「東海大には貸しがあるんだ。本当のことをいうと、辰徳は慶応大学へいく予定だったんだが、松前重義総長(東海大グループ創始者)に、『辰徳君は俺にとって孫のような存在だ』といわれてね。
津末(英明。のち日ハム、巨人)や村中(秀人。現・東海大甲府高監督)が、『監督が行くなら、大学へ進学します』というので、4年間大学にご奉公し、また相模に戻った。あのまま高校野球の世界にいたら、あと2回は甲子園で優勝できたと自負しているんだ」
貢は呵々大笑した。
「ドラフト当日は、ゴルフ場で結果を待つかもしれん。どこのゴルフ場? そんなの言えるかい」
また瞳をカッと見開いた。
(文中敬称略)
※首都大学野球リーグ、通算36勝4敗(10月20日現在)、通算14完封(同。リーグ新記録)。昨夏の世界大学野球選手権では、キューバ相手に、大学生最速の157キロを記録した。
※週刊ポスト2011年11月4日号