【書評】『昭和天皇「理性の君主」の孤独』(古川隆久著/中公新書/1050円)
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
* * *
まさか昭和天皇の濃密な評伝をこれほどおもしろく読むとは思わなかった。近年公刊された侍従や側近らの日記や回想など多数の一次史料を吟味しながら突き合せ、歴史的文脈のなかに位置づけている。混沌とした場面も手際よく整理され、正確さを保つ姿勢を貫き、昭和天皇の姿を描いていく。
サブタイトルの〈「理性の君主」の孤独〉が本書を端的に語っている。とくに昭和天皇の思想形成過程に注目して描いた点が秀逸だ。
昭和天皇の思想の核のひとつは「徳治主義」(徳を持った君主が国を治めれば栄えるという政治思想)である。もうひとつは、近代西洋風の「立憲君主論」である。自ら大権を発動することを避け、政党政治に期待をかけていた。折り合うはずのないふたつの思想が同居していた。
一九二一年の皇太子時代に訪欧旅行をした経験は大きく、協調外交を推進しようと考えていた。またダーウィンの進化論にも接していたらしく、「天孫降臨神話」(天皇家が神の子孫として国家の統治権を持つという思想)を当時から否定している。彼は大正デモクラシーの時代を反映する近代的知性の人でもあったのだ。
しかし彼は腐敗した政党政治に失望する。いっぽう軍部の中国における軍事行動に不満を持ちながらも阻止できなかったのは、立憲君主としての自戒によるものだった。やがて軍部は独断専横し、戦争へと突き進む。昭和天皇は高い理想と知性を持ちながら、それゆえの「弱さ」があった。そして世論は軍部や政府の対外強硬論を容認し、彼はしだいに孤立していく。
近年発掘された史料で昭和天皇は〈国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった〉と語っている。著者はこの言葉を、戦争責任を国民に転嫁したのではなく、戦争回避に向けて自分なりに努力したものの世論が協調外交路線を拒否したことへの失望だと読み取っている。
国民性に落ち着きがなく、政党政治は腐敗している。残念ながら日本は今も変わらない。
※週刊ポスト2011年11月4日号