100才の双子、きんさんぎんさんブームから20年。その蟹江ぎんさんの娘も、いまや平均年齢93才。4姉妹のもとには、テレビ局の取材が大勢押しかけるなど、大きな注目を集めている。4姉妹が子供時代を過ごしたのは大正・昭和初期。当時、蟹江家はどんな暮らしをしていたのだろうか。
4姉妹は全員が大正生まれ。長女・年子さん(98)の記憶によれば、幼いころにまだ電灯はなく、ブリキ缶に菜種油を入れ、芯に火をともすランプが暮らしの明かりだった。
やがて電気や通信、鉄道が全国的に敷設されるようになり、蟹江家に電灯がともったのは、年子さんが5才のとき。つまり、1919年(大正8年)、いまから90年も前のことになる。
年子さん:「父親の弟がな、電気会社に勤めてたんで、そいでうちは早うに電気がござった。いまみたいに、蛍光灯なんてありゃすか。一軒にな、裸電球がひとつと決まっとったがね」
たったひとつの裸電球をあっちこっちの部屋に移動させながら使ったのだという。
美根代さん(五女・89才):「昭和5年ごろまでそんな具合だった。いまは“節電”ちゅうとるけど、あのころ思うたら、バチ当たるでな」
そんな一家にとって、家族がホッとひと息つけるのは、夕食後のひとときだった。家族は裸電球の下で、夜なべ(夜まで仕事をすること)をしながら語り合うのが常だった。
千多代さん(三女・93才):「あんころの夜さり(夜)は、ほんと平和だったにゃ。おっかさんとわしら姉妹は、地元に伝わる“有松絞り”っちゅう染め物の下作業をやりながら、その日にあったことを、ペチャクチャ語り合う」
百合子さん(四女・91才):「父親は縄をなったり、草履を編んでらした。それで親が、子供たちの話をとことん聞いてくれた。だから、ちゃんとわしらが何を考えとるか把握できとったように思う。本当の意味で、家族の団欒があったわな」
この“夜なべの団欒”を終えるのは、たいてい午後10時ごろだった。朝は日の出とともに起床しており、昼間の疲れが出て、姉妹たちはコックリ、コックリとなるころだ。
※女性セブン2011年11月10日号