20年前にブームとなったのが、100才の双子姉妹・きんさんぎんさん。おふたりは亡くなったが、妹・蟹江ぎんさんの4人の娘を紹介した本誌記事をきっかけに、4人姉妹のもとにはテレビ局の取材大勢押しかけている。長女・年子さん(98)、三女・千多代さん(93)、四女・百合子さん(91)、五女・美根代さん(89)。平均年齢は93才で、揃って腰も曲がらず、ひとりとして車いすのお世話にもなっていない。そんな蟹江家とは一体どんな家だったのか? こんなエピソードがある。
1932年(昭和7年)、蟹江家では、農業のかたわら養鶏業を始めた。三女・千多代さんが14才、四女・百合子さんが11才のときだった。
百合子さん:「大きなニワトリ小屋が6つ7つ並んどって1000羽はおったな。この世話がてゃーへん(大変)でな、糞もかかなあかん、餌もやらなあかんでしょ。学校から帰るとな、おっかさんと一緒に、産んだ卵を集めるんだけど、これが1日に何百個という卵じゃからな。そりゃあ、もうてんてこまいだったがね」
トウモロコシやきびなどの餌は当時、中国から南京袋に入れたものが輸入され、安く手にはいった。
年子さん:「これに魚のあらを混ぜてなあ。この餌がええでね。黄身の濃いええ卵を産むもんで、注文がわんさか来てな、おっかさんは、“うわーっ、儲かった、儲かった”と大喜びじゃったわ」
美根代さん:「けんど明け方からコケコッコー、コケコッコーでしょ。そりゃあ、うるしゃあわ。それにな、毎日、お弁当のおかずが卵焼き。あのころでは贅沢だったけど、ほんと卵に飽きてしもうたがね。そいでな、母(ぎんさん)もな、好き嫌いはほとんどなかったが、見るのも嫌になったのが卵。ゆで卵も目玉焼きもオムレツも、亡くなるまで手えつけんかった(笑い)」
※女性セブン2011年11月10日号