Mac、iPhone、iPad――全世界で熱狂的なファンを生んだ製品の数々を世に送り出し、“天才”の名を欲しいままにした男、スティーブ・ジョブズ氏(享年56)。一見、華やかに見えるその人生の裏には、養子に出された幼少期など、幸福とはいえない生い立ちがあった。
未婚の母から生まれてすぐに、貧しい家庭の義父母のもとで育てられたジョブズ氏。生みの母は、夫妻が大卒でなかったことから当初、養子縁組の書類にサインするのを拒否したが、育ての両親がジョブズ氏を大学に行かせると約束して、サインに応じたという。
当時、ジョブズ一家が住んでいたパロアルトは、後に米ハイテク産業の集積地として発展するシリコンバレーの一端。米コンピューター大手のヒューレット・パッカード(HP)社が創業時から本拠を置き、最近では、フェイスブックの本社もここにある。ジョブズ氏が13才のときにHP社でアルバイトをしたことが、彼の人生を大きく転換させる。
ジョブズ氏が、後にアップル社の共同創業者となるスティーブ・ウォズニアック氏と親交を深めていったのは、1970年代の初め、ジョブズ氏が高校生のころのことだ。
ジョブズ氏は夏休みなどを利用してHP社でのアルバイトを続けていたが、カリフォルニア大学バークレー校でコンピューター・エンジニアとしての勉強を積んだ(後に中退)5才年上のウォズニアック氏もまた、ここで技術者として働いていたのだ。
もともと近所に住んでいて顔見知りではあったものの、ウォズニアック氏がひとりでコンピューターシステムの設計をこなすほどの技術を蓄えていることを知り、ジョブズ氏はその才能に感嘆。ほどなく意気投合する。
ところで、生みの母があれほど望んだ大学卒業を、ジョブズ氏は果たしていない。
養父母は約束通り息子をオレゴン州にあるリード大学に進学させたのだが、ジョブズ氏はここに半年通っただけで、中退してしまうのだ。
一説にジョブズ氏は、「大学の教授よりも自分のほうが優秀なことがわかったため」、大学に通う意味を失ったといわれる。だが、進学がウォズニアック氏と親交を深めていた時期であることと合わせると、「いくら勉強しても技術でウォズニアック氏を超えることはできないと悟ったのではないか。ならば彼と一緒に事業をしていくほうが合理的だと考えたとしてもおかしくない」(ジョブズ氏を知るコンピューター関連企業幹部)――という見方もできる。
もっともジョブズ氏自身は先のスタンフォード大学でのスピーチでこう語っている。
「労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。私はそこまで犠牲を払って大学に通う価値を見出せなくなってしまったのです」
貧しい家庭の養子であったという事情もまた、中退の大きな理由のひとつだったともいえよう。
※女性セブン2011年11月10日号