「未来を予測する最良の方法は、自らそれを創り出すことである」
とはパソコンの生みの親といわれ、ジョブズにも強い影響を与えたアラン・ケイの言葉。まさに、10月に他界した故スティーブ・ジョブズが実行してきたことだ。
1976年、友人のスティーブ・ウォズニアックとアップル社を設立。Apple IIを発売すると、パソコン革命をもたらした。
その後は後継機に頭を悩ますことになるが、1983年にLisaで初めてワンボタンマウスを採用。そして翌1984年には初代のMacintoshが産声をあげ、ここから今に続く“Macストーリー”が始まるのである。
死の間際まで我々に“未来”を提供し続けてくれたジョブズの才能についてゲームデザイナーでアップル研究家でもある斎藤由多加氏が話す。
「決断力が並外れています。1980年代初頭、ゼロックス社のパロアルト研究所から、まだ実験段階だったGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)やマウスを研究している他社の技術者を、躊躇することなく引き抜き、それを実用化したのは彼ならでは」
斎藤氏は、Macintosh 512K(1984年)の思い出について、こう語る。
「僕はほぼ全てのMacを揃えていますが、中でも初代の128Kモデルをバージョンアップさせた512Kモデルは思い出深い。1984年当時、オールインワン型でこれほどコンパクトなものはなかった。
マイコンといわれた時代ではコンピュータを自分で拡張していくのが普通なのに、新たに拡張のためのカード類をハメ込むスロットがない。それどころか裏蓋は特殊なビスで密閉されていて開かないようになっていた。これは『このまま使ってくれ』というジョブズのメッセージなんです。実際、まるでトースターのようにボタン一つで作動し、簡単に使えた。
あまり知られていませんが、アップルジャパンができる前は日本での販売代理店は東レやキヤノン販売が担当していたんです。この一台から始まったMacの歴史を紐解くのも楽しいもんですよ」
【プロフィール】
斎藤由多加(さいとう・ゆたか)1962年生まれ。『シーマン』や『ザ・タワー』などのゲームを開発。アップルの研究家として近著にアップル日本進出の舞台裏を描いた『林檎の樹の下で』、Mac開発の秘話を開発者へのインタビューで綴った『マッキントッシュ伝説』(共にオープンブック刊)が発売中。
撮影■ヤナガワゴーッ!
※週刊ポスト2011年11月11日号