廃墟と化した建物が目につく。かつて“世界の火薬庫”と呼ばれていたボスニア・ヘルツェゴビナ南部にあるモスタル。この小さな街のインターナショナルスクールを訪れた記者の目的は、北朝鮮の金正日総書記の孫を取材することだった。キム・ハンソル、16歳。
フェイスブックにアップした金髪写真などが韓国メディアで報じられた“話題の王子”である。
とはいえ日本から遠い異国の地。頼れる知己もいない。ベンチで途方にくれていると、イスラム教のブルカを被る女生徒に交じり、アジア人らしき青年が歩いてきた。アルマーニのパーカーに、2種類のネックレス。ピアスも黒とシルバー。そしてネットにも公開されていたあどけなさの残る顔立ち。
間違いない。ハンソルだ!
動揺する記者を尻目にスタスタと歩くハンソルを追いかけ、「順調かい?」と声をかけた。「オッケー」とハンソル。が、その姿を収めるためカメラを取り出すと速足で去っていった。
連日のマスコミの取材攻勢(主に韓国メディア)にうんざりしている様子。護衛らしきアジア人が近づいてきたためいったん退散する。
二日目。正門前から、アラブ系の学生と流暢な英語を交わすハンソルが出てきた。記者を確認するや、辟易した表情を見せる。
「もう君は、僕の写真を撮ったじゃないか」
すると隣の学生が「いいじゃないか、一枚くらい撮らせてやったって」と笑う。
「じゃあ、仕方ないね。これを撮ったら帰ってくれないかな」頭に被ったパーカーを脱いだ。「横顔でいいかな」
記者がシャッターを切る。
「見せてくれないか、いま撮った写真を」ハンソルは写りを気にしているようだ。綺麗に撮れているじゃないか、と記者はいうが、「待ってくれ、ズームにして見せてくれよ。よし、OK!」と納得。今度は少し微笑んだ。無邪気で、どこにでもいる年頃の青年だ。
――ところで学校生活はうまくいっているのかい?
「もちろんさ、すごく楽しんでいるよ。どうしてうまくいかないのさ」
――取材にはうんざりしているみたいだね。アジア人のメディアは嫌いかい?
「嫌いだよ。アジアの奴が」
そうハンソルは悪態をつくが、遊学先で取材攻勢にあう16歳を少し慮りたくもなる。最後に記者が、「どうもありがとう」と挨拶すると、ハンソルは、両腕を腿につけ5本の指をまっすぐピンと伸ばし、深々と頭を下げた。アジア伝統のお辞儀だった。
●取材・構成/宮下洋一(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2011年11月11日号