【書評】『イーティング・アニマル アメリカ工場式畜産の難題』(ジョナサン・サフラン・フォア著・黒川由美訳/東洋書林/1890円)
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
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ヴェジタリアンだと聞くと、流行にのった先取り気質のひとを連想する。さらには、健康にいいし動物の命を守るのだから、と菜食主義を無理に強いられたら、個人の嗜好だからほっといてほしい、と私などはいいたくなる。脂ののった、おいしい肉や魚を食べずに一生過ごすなんて、自分にはとてもできそうにない。
人間の食生活は、古くから畜産と親しんできた。ではなぜ人間は肉を食べるのか(もしくは積極的に食べないのか)。健康、動物愛護、伝統的な食文化、そして宗教。さまざまな視点が絡まりあい、なにが正しいかなどという結論は、なかなか出にくいテーマである。
著者の視点は、そこに一石を投じるものだ。だがこの石は、あまりにも重い。それは、肉食文化・アメリカの食肉の九九%を生産している「工場式畜産」の存在について、だからである。
豚肉でいえば、アメリカの工場式畜産企業の「たった四社」が、アメリカ国内の豚肉を「六〇%」も供給している。さらに、彼らの合理性と高い収益を求めるシステムのなかでは、当然、これら家畜である動物たちは、商品である「肉」として育つために、不自然かつ劣悪な環境を強いられる。
早く大きくなるよう成長ホルモンを打たれ、薬といえば治療のためよりも、免疫を高めるための抗生物質である。堆肥として作物に有効利用されるはずの糞尿も、もはや限界を超え、地球環境を破壊する公害レベルにまでなっている。
そして最大の問題は、現代の消費者こそが“共犯者”である事実だ。ある農業者は匿名で答える。
「消費者から、畜産農家が率先して工場式の大量生産を行っているように言われるとむしょうに腹が立ちますね。農場主をこういう方向に進ませたのは自分たちだというのに。これまでずっと消費者は安価な食べ物を求めてきて、われわれはそれに応えてきた」
つまりは、肉を食べることの善悪論ではない。なぜ現代人は欲望のままに飽食をしているのか、ということを問うているのである。
※週刊ポスト2011年11月11日号