プロ野球のレギュラーシーズンが全日程を終了し、西武ライオンズの「おかわりくん」こと中村剛也が2位に23本差を付ける見事な成績で本塁打王に輝いた。2005年に22本塁打を放ちながら、その後2年間、本塁打数が9本、7本に留まった中村。彼が打撃不振をどう克服したのか、かつて中村をコーチとして指導したデーブ大久保氏はこう語る。
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2005年に一時はレギュラーを掴んだ中村だったが、その後2年間、打撃不振に陥る。打てないと代えられることが続き、三振を恐れ、豪快なホームランは影を潜めた。転機は2007年オフ。新監督となった渡辺久信は「サンペイ(チーム内の愛称。芸人の三瓶と風貌が似ているため)を再生させてくれ」と、これも新打撃コーチのデーブ大久保に託した。
同年秋のキャンプで打撃練習する中村は、いかにも窮屈そうだった。軸足の右足の前にヒッティングポイントを置いていたからだ。それは2ストライクに追い込まれてからのスタイルで、飛距離は出ない。それでも大久保はしばらく静観した。
「アイツは頑固ですから(笑)。僕はそれまでタレント業もやっていたし、お前に何が教えられるんだ、と思っていたでしょう。何も言うなよ、というオーラを放ってましたね」
練習終盤、大久保は満を持して中村に言う。「打つポイントを前にしてみろ。今より2mは前だ」嫌々といった感で中村はやってみる。すると、軽く振った打球は場外のネットを突き刺すようになった。飛距離も、打球の質も大きく変わったのだ。
「飛ばすのに大事なのは角度です。バットの入射角が45度で入れば、ボールは自然と45度で飛んでいく。それまでのサンペイは、トンカチが平行になる前に釘を打っていたようなもの。ポイントを前にすることで、理想の入射角で打てるようになったんです」
迎えた2008年、46本で初の本塁打王と大飛躍。大久保は恩師とも言えるが、彼はやんわりと否定する。
「今のサンペイがあるのは渡辺監督のお陰です。2008年も最初は全く打てず、見事に三振して帰って来る。僕も監督にオーダー表を渡すとき、中村のところは手で隠していたくらい(笑)。
でも監督は、いいんだよ、サンペイは絶対に使うから、と。野球で面白いのは、投手は三振、打者はホームランだろって。サンペイはホームランを打ってくれればいいと。安心感を与えてくれたことが一番大きい」
技術を発揮するには心の余裕こそが必要だった。いや、強さも。
※週刊ポスト2011年11月11日号