「ボールの速度が正確に判断できない」と、マリア・シャラポワ選手のプレー中のうなり声に、世界1位の女子トップ選手がクレーム。プレー中の「声」をルールで禁止すべきなのかどうか。作家で五感生活研究所の山下柚実氏の視点は、こうだ。
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女子テニス界のスター、「ロシアの妖精」マリア・シャラポワ。彼女が球を打つときのうなり声が、今、問題になっています。
苦情を訴えているのは、女子プロテニスで世界ランク1位のキャロライン・ウォズニアッキ選手。
シャラポワ選手が発するうなり声で、「ボールの速度が正確に判断できない」とウォズニアッキ選手は苦情を述べ、「意図的に大きな声を出す選手もいる、禁止すべき」と訴えた、とテレビで報じていました。
シャラポワ選手のうなり声を計測すると、100デシベルを超えた。その音量はなんと、地下鉄の中の騒音に匹敵する、とのこと。
たしかに剛速球でラインギリギリにサーブを打ち込まれ、しかも巨大なうなり声がボールに被さるとすれば、相手はたまったものではないでしょう。
シャラポワのうなり声は、はたして意図的に出されているのか。それとも全身全霊でサーブを打ち込む時、自然に発してしまう気合いのようなものなのか。
テニスが品性を問うスポーツだとしても、プレー中の「声」をルールで禁止すべきなのかどうか。議論は分かれるところです。
スポーツは、人間の理性を超えて、身体の力を直に表現する野性的な行為でもある。そう定義すれば、勝負にとって有利になるような質の「声」「音」を発することもまた、アスリートの、生な力の一つではないでしょうか。
興味深いことは、シャラポワの声が間違いなく相手に脅威を与えている、という事実です。言葉の「意味」や「内容」だけでなく、「声」の響きや振動によっても、人の心理は大きく影響される。
そうした見えない「武器」を、彼女自身が自覚しているかどうかは別にして、上手に使っている。「声によるマインドコントロール」が、テニスという戦いの中に潜んでいる、ということが浮き彫りになりました。
声は人をコントロールする。時に、政治の世界でも異様な力を発揮する「声」「音」。その一例はアフリカにもありました。ルワンダの虐殺はラジオの音楽番組によって煽りたてられた、と『サウンドコントロール』(角川学芸出版 伊東乾著)という本は解き明かしています。
私たちの生活の中にも、いろいろと見えないシーンにおいて「音によるマインドコントロール」が潜んでいる、と考えられるのではないでしょうか。