今年1月6日に真輝(まさき)くんを帝王切開で出産した自民党・野田聖子議員(51)。さまざまな苦難を乗り越えての出産だった。
41才のときに不妊治療を始めた野田氏は、体外受精14回、流産1回という経験を経て、昨年8月に第三者による卵子提供での妊娠を公表した。このとき、「お金にものをいわせている」「彼女のせいで不妊治療をもっと頑張れといわれる」など、彼女の妊娠をめぐっては多くの批判も寄せられたが、野田氏は本誌のインタビューで、“何としてでも子供を欲しかったという思い”をこう明かしている。
「いろいろな可能性すべてに挑戦してきた女としての最後の苦渋の決断だったんです」
批判されるのも覚悟のうえで、決死の思いで真輝くんを出産した野田氏だったが、その真輝くんは、生まれる前からすでに臍帯ヘルニアと心臓疾患という大病を患っていた。へその緒の中に肝臓が飛び出した状態で、さらに本来2本ある心臓につながる血管が1本しかなかった。仮死状態で生まれてきた真輝くんは呼吸も止まっていて産声をあげることすらできなかった。
また、産後すぐに、食道閉鎖症が見つかり、口からの食事は不可能と診断され、チューブで直接、胃にミルクを送り込まなければならない状態だった。そのため、真輝くんは生まれた直後から、NICU(新生児集中治療室)で、何本ものチューブにつながれ、機械に囲まれる生活を送ることになる。出産直後の思いを野田氏はブログにこう綴っている。
<息子は、低体重だけではなく、内臓疾患があることが判り、もう少しNICUにお世話になることになりました。小さなからだで、ふびんだと思うけど頑張ってくれてます>
それ以降、彼女は、その闘病の様子をブログに綴るようになる。それは、まだ生まれたばかりの小さい命には、あまりにも過酷で苦しい日々。読むと涙が止まらなくなってしまうほどの壮絶な闘病日記だった。
※女性セブン2011年11月17日号