震災直後、繰り返し放映された「石油コンビナート炎上」の映像。それを見て被災状況の甚大さを思うことはあっても、「本作りの現場」に危機が迫っているとは出版人ですら思わなかった。「3.11」は、出版業界の「原点」を浮かび上がらせる。「紙」と「インキ」がなければ本は生まれないが、震災でこの紙とインキにも大きな危機が訪れていたのである。ノンフィクション作家の稲泉連氏が報告する。
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八戸市にあるこの三菱製紙八戸工場一機の抄紙機(しょうしき=紙をすく工作機械)が動き始めたのは、震災から二カ月以上が経った五月二四日のことだった。
「感無量でした」
工場長の金濱福美(かねはま・ふくみ)は、震災直後からの様子を今でも昨日のことのように話す。
パッケージの板紙などを製造する一号抄紙機が運転を再開すると、翌日には書籍用紙を作る二号抄紙機、六月一九日には同じく七号抄紙機、七月一九日には雑誌の表紙や広告ページ用のコート紙を作る三号抄紙機が次々に復旧していった。
それまでの間、同社では他社からのOEMや在庫の調整で紙の供給を続けていたが、中にはこれらの抄紙機が動かなければ、顧客からの要望に応えられない製品も多かった。
洋紙事業部出版・直需グループ担当課長の豊田伸孝はこのようなこともあったと話す。
「あるとき、当社の紙を使っているパズル誌の編集部から直接連絡をいただいたんです。読者の方から『いつもの紙と違う』という指摘があった、と。例えばクロスワードパズルは鉛筆で書いたり消したりしますから、普段と消しゴムの消え具合が変わっていたりすると違和感がある」
沿岸の被災地ではパズル誌がよく売れている、という話も聞いていた。こうした指摘を受けるうち、豊田は「紙がなくて困っている人たちがいる。自分たちが津波の被災者でいられる期間はもう終わったんだ」と感じ始めたと言う。
それは復旧作業に奔走する中で、工場長の金濱が感じた気持ちとも似ていた。
震災から半年が過ぎた頃、取引先の顧客が視察で工場を訪れるようになった。これまでは印刷会社や代理店、出版社の社員と直接話す機会はあまりなかった。工場の被災から復旧までの道程を工場長として彼らに語り、また彼らから「紙」に対するこだわりや要望を聞く中で、次のような思いを抱くようになったと金濱は言う。
「しなやかさ、色合い、手触り。とくに書籍を担当している方は紙に対する思いが深い。紙には様々な品質があります。製紙メーカーによって細かな特徴の違いもある。そのようなきめ細かな差にこれほどこだわり、良い紙を求めている人たちがいる。あらためてそのことを意識し、責任の重さを感じました」
そしてそのさらに先には、自分たちの作った紙でできた本や雑誌を手に取る読者がいる。距離が近づいた──この七カ月間の日々を振り返り、いま彼はそんなふうに思っていると話す。
「現場で働いている者にも、そうした思いは確かに伝わっています。そして、それはいままでとは違う新しい感覚でものを作り込み、復興していこうという気持ちにも繋がっているんです」
(文中敬称略)
※週刊ポスト2011年11月18日日号